トーチュウ連載の今宮雅子さんのコラムから


アルジェリアでの人質籠城テロの報道とF1の報道から、国内報道のガラパゴス化を危惧する掲載記事がありました。


グローバル化した社会の中で、アルジェリアの天然ガスプラントにはイギリス、アメリカ、ベルギー、フィリピン、ノルウェー等多くの外国人が滞在し犠牲となっている中で邦人の安否のみに特化したような報道は、事件の全体像を見えづらくしているのではないでしょうか?


F1の報道も、基本日本人選手のリザルトのみの報道であり、小林可夢偉がマシンの出来不出来で大きく左右される中、ザウバーのマシンでアロンソ、ベッテル、ハミルトン、バトン、ライコネン、シューマッハーと互角の戦いを見せたことに対する評価は、列挙したドライバーの凄さ、偉大さが理解出来なければ伝わらない。


そして、それは鈴鹿に集まった10万人の人達が知っている事実なのに、そのことを社会に伝えられない報道は、米国とアジアに偏った世界感での報道によって引き起こされ、邦人のみの内容に偏ってしまうことは、世界から取り残されてしまう報道のガラパゴス化に繋がるのではないかと結んでありました。


実際の記事を、分りやすく伝えようと加筆してありますが、大筋は上記のような内容です。



被害者の氏名の公表よりは、少なくとも犠牲になられた方々の国籍、その国の声など、日本政府が公表しない内容を知らせる権利として報道すると言うならば、報道の重点が違っているのではないでしょうか?



早くも、政府の情報収集力の問題などと騒ぎ立てていますが、どの国も同様な状態であり、さらに国家規模の情報局も持たない、持てない国が何処まで出来るのか考えてから記事にして欲しいものです。


公務員の給料を減らし、人数を削減しろと言いながら、危険な地域で情報収集にあたる人間はどこから出してくるのか、それだけの人材が安月給やボランティアで奉仕してくれるのか、語学力一つとっても一朝一夕では出来ない話なのではないですか?


しかも、非常事態以外では自衛隊のように無駄だだとか、憲法違反だとか騒ぐのでしょう?


一貫性の無い報道が、どれだけの人を傷つけているのか?そこには人権的な問題は無いのか考え直して欲しいものです。


なでしこジャパンだって優勝してなければ、扱いは違っていたと思うんですよ。


「2位じゃ、駄目なんですか?」


2位でも良い国にしてから言って欲しい台詞ですね。


可夢偉も世界3位じゃ、駄目だったでしょ?


1位じゃなきゃ駄目なのは競争社会である以上、仕方無いことを自覚して欲しいですね?