今日、息子が買って来たコミック誌に掲載されていた「マジェスティック・プリンス」という漫画の台詞


人の命は平等、とても良い言葉でとても大切な言葉です。」


「だが、それは誰かが作ってくれている平和な世界だから唱えることが出来る。平和が脅かされれば誰かが不平等な命になる。」


「そのための軍人。平等の命の重さを守る為に彼女達は選ばれた。」



思わず、ジーンとしました。


自衛隊はいらない、米軍はいらない、自分達の命が脅かされないから言える言葉なのかも知れません。


実際に、命が脅かされれば救いを求める相手となり得る人達に対して、平和だからいらないとは言えないのではないかと思うのです。


なぜなら、その平和は彼らの存在があって保たれているのかも知れないのですから・・・。


物事を、一方向からだけしか見ないと、見えないもの・・・死角が生まれて、大きな判断を誤ることになる。


軍隊も、原発も無いにこしたことはないけれど、不必要となってなくなる、または不必要な状態を作り出す努力をするならば良いのですが、闇雲に無くすことばかりを求めたとき、その責任を求めた人達は負えるのでしょうか?


何かを求める発言をしたとき、そのことによって生まれる弊害に対しての責任を負うことが、発言と言う権利を行使したときに発生する義務だと言う事を自覚する必要があると思うのです。