原発の問題に限らず賛否両論のある問題に対して、白黒をつける必要性のあることが、どの程度あるのか疑問に思っています。


諮問委員会などでも両論併記などというグレーな決着がありますが、そのグレーさは、日本の良さでもあると思うのです。


例えば、原発に関するなら是か非かという問題にするのではなく、危険だと認識されるものは無くしたいと考えるのは、両者とも共通認識であり、問題は、電力不足や経済に与える影響から、すぐに全面停止するのを否定している点で、いずれは無くしたいという思いは同じならば、時期をいつにするかで妥協点を探すのが、議論であり、日本人の文化であったと思うのです。



自分の意見を通す為に、他人に迷惑をかけることは言論の自由ではないのではないでしょうか?


自由の定義を国民の共通認識として教育し、そこから外れるのは自由ではないとしなければ、経済的利益を優先して、都合の良い報道とは名ばかりの情報の垂れ流しを止めることは出来ないと思うのです。



反対意見を述べるならば、きちんと代替案を提示すべきでしょうし、電力不足ならば使わなければ良いとか、原発に反対するなら電気を使うなとか、極論の話では無く、現実的な路線で、代替エネルギーの開発かかる費用、時期などから徐々に停止に向かうような、緩やかな対応がとれないものかと思います。



極端な物言いですが、自分達の意見が通らないからと、実力行使に出ることがその行使の程度が小さければ問題にはなりませんが、行使の程度が大きくなったものがテロと呼ばれるモノだという認識は持つべきでないでしょうか?


民主主義と言うならば、他者の意見も取り入れていくことは重要だと思うし、原発問題に限らず、反対と言うならば、その言葉に責任を持つべきだし、自分さえ良ければいいとう意見は、争いしか生まないと思うのですが・・・。


感情論だけでは、何も解決しないし、その結果が戦争なのだと思うと、相手を滅ぼすまでやるの?と、思わずにはいられません。