久しぶりに・・・本当に、凄ーく久しぶりに、ピグともさんの一人が、ブログをアップしてくれて、嬉しくて・・・。


だから、あまりに青臭いから、書くのをどうしようかなと、迷っていたネタを書くことにしました!



「そもそも奇跡とは何だろう?」


この言葉で始まる、「コードブルー2」の最終回、エンディング近くの、山下 智久のナレーション


自分や自分の大切な人が健康でいること


間違いを正してくれる上司や仲間がいたり


負けたくないと思える相手がいること


打ち込める何かがあること


そういう、ささやかな幸せを奇跡と呼ぶなら、俺たちのいる世界は奇跡で溢れている。



こんな、ナレーションでしたが、納得出来る部分と、そうでない部分があります。


最後の、一節は、好きですけどね。



私は、幸せには、相対的な部分があると思っています。


何かと比べた時に、その何かより良い状況だと思えれば、まだマシだと思えるし、そこより上向けば、幸福だと思えるのではないでしょうか?


失ってから、気付くことが多いのが人間で、失う前に気付ければ、それは辛くても、実は幸福なのかも知れない・・・だって、生きている時に感謝をして、生きていることに感謝をされる。


それは、平凡な日常では、なかなか感じることの出来ないことなのかも知れないと、私は思っているのです。


そして、私は、人は、生きていることを、あまりにも当たり前だと思いすぎている人が多いのではと感じています。


東日本大震災を見て、多くの方が命を落とされたと感じている人は多いでしょうけど、それを、他人事では無く、自分にも、いつでも起こり得ることだと、意識している人が、私の周囲には、少なすぎます。


毎年のように、東日本大震災での、死者、行方不明者を超える、3万の人々が、自ら命を絶ち、5000人弱の人が交通事故で命を落としている国が、日本なのです。


そんな国に住む私達だから、自分の身に、自分の周囲に起こり得ることだからこそ、生きていることが奇跡だし、その人同士が巡り会い、思いを紡ぐことができることが奇跡であると、認識を持たなければ、ささやかな幸せを見逃してしまい、奇跡を感じることも無くなってしまうのではないでしょうか?


日々、家族を含めた人への感謝を表していたいと思うのです。



でも、これが、青臭い理想論であることは、私自身、気付いています。


感情に流されてはいけないと認識してはいても、憎しみの火を消せずにいる自分もいますし、自責の念、後悔の念に囚われている自分もいます。


だからこそ、少しでも、そこから、自分の思う理想の姿になろうとすることが、駄目な自分を叱咤激励することになり、自分自身を嫌っている自分を変える力になるのだと思っています。