ZAPPAさんのブログ読んでいて、拍手喝采!


私は、常々、マスコミの言うことを鵜呑みにするなと、言っているので、善くぞ言ったという感じです。


この、書き出しじゃ、いきなり読んでいる人は、分かりませんね?


F1に必要なものは、別の機会にするとして、今のマスコミが信用ならないと言う話です。


他者を愚弄する気は、さらさらありませんが、相撲にしてもそうだし、政治にしても、芸能ニュース、犯罪報道、どれをとっても、「知らせる権利」、「国民の知る権利」を理由に、やりたい放題。


間違えれば、小さな謝罪広告と、名誉毀損でも、日本では僅かな慰謝料で、終い。

これは、言い方を変えれば、間違った報道でも、売れれば良し!

謝罪広告と慰謝料は、必要経費みたいなもの・・・そんな風に、捉えられても仕方ないんじゃないですか?


最低でも、間違った報道や記事によって発生した売り上げが、吹き飛ぶ位の、慰謝料なり、罰金が科せられなければ、抑止力にならないと思う。


大相撲の八百長問題にしても、読む人がいるから、書く人がいると言う人もいますが、とても、公平な報道とは思えません。


出来レースの語源である、出来山って、ご存じですか?

出来山とは、今風に言えば八百長になるのでしょうが、当事者が打ち合わせをすることなく、勝負の行方を決めてしまうことで、土俵の上で勝ちを譲る等が典型でしょう。


古くは、出来山を覚られずにとれて一人前と言われるように、大相撲では、情けをもって勝負に臨むのは、当たり前のことであったはずで、勝者が勝ち誇ることを良しとしないのは、敗者への思いやりを勝者は持たなくてはならないという、日本人古来の美徳からの、心得を基にしているからでしょう。


古典落語などには、病床の母親の為にお金が必要な下位力士に、番付上位の力士が、さり気なく勝ちを譲り、勝った下位力士が、一言の言葉を交わさなくとも、恩義に感じて泣く、なんて話があるように、勝てば良いのではないのが、大相撲の心技体であった、はずなんです。


だから、大相撲は神事であってスポーツでも、格闘技でもなく、江戸時代に力士が武士同様に扱われていた歴史があるのでしょう。


勝負事なら、怪我した所を攻めれば良いが、それをしない人情が、良さであったはずなんです。


その、そもそも論を話さずして、八百長だけを騒ぎまくるマスコミ、コメンテーター、良いところは無視して、悪いところだけを、取り上げる、これは、片手落ちの報道と言わざるを得ないでしょ?


普通、常識、基本・・・これは、人によって違う物なのに、何が基準となるかを説明もなしに、普通とか常識と言うこと自体が、争いの基になっていることに、未だ気付かないことが、腹立たしいですね。


考えてみて下さい!ムスリムとキリシタンの常識の違いがあるのにも関わらず、どちらかが自分の常識を相手に押しつけているから戦争になる。


勝ち負けで決められる話でないから、内線にもなる。


相手の常識を認めた上で、妥協点を見出したり、イスラム教でも、キリスト教でも、個人が自由に選べるようにすれば、少なくとも、そこの所での争いは無くなるでしょう。


今の、日本のマスコミは、この点が、欠けていて、自分たちの権利の主張が先、義務を果たしてからの権利であるはずなのに、義務を課そうとすると、言論の自由をふりかざし、果たそうとしない。


少なくとも、犯罪被害者や、被災者への取材は、相手に了解を得て、別な場所で行い、取材対象者の了解を得ていることが分かるように行うとか、被災地への取材は、スクープを優先せずに、国家機関や警察などの関係各所と報道センターを開設し、それぞれの役割地域や、取材方法など確立しながら、救出活動の邪魔をせずに行う位は、最低の義務だと思いませんか?


もしルールを守らずに、違法の中に正義有りと言って報道に踏み切る場合は、一切の収益を上げてはならないという規制の上に、行えば良いのじゃないですか?


少年事件の顔写真の公開が、正義の為に必要だと言うのなら、号外で配布するなら、まだ、許せますが、雑誌の記事で掲載すれば、間違いなく興味本位の売り上げが増えますからね。


マスコミの正義は、金儲け?と、言われないように、活動して欲しいと思います。