「知らぬさ!しょせん、人は己の知ることしか知らぬ!」
前回のブログで書いた、ラウ・ル・クルーゼの台詞ですが、その通りですよね。
人は、誰しも己の知ることしか知らないのは、当たり前です。
「知らぬが仏」というコトワザがあるように、知らないことは、知らないのですから・・・ただ、諺通り、知らなければ仏でいられるかは、はなはだ疑問ですが・・・。(笑)
問題は、人は、相手の意図を言葉を通してしか知ることが出来ず、行動を通して知るには、時間がかかりすぎるということでしょう。
だから、相手の本性に気づかず傷を負い、相手の本心に気づかず、傷つけてしまい、ボタンの掛け違いと呼ばれるような、誤解の積み重ねが、争いを生んでいく。
人は、こんなことを繰り返しながら、生きているのだと思います。
それ故、人は色々なことを知ろうとしなければならないし、想像力を豊かにして、思い込みだけで物事を判断しないようにしなければ、ならないのではないでしょうか。
例えば、親友と思っていた人間に裏切られたとき、憎んでしまうのは簡単ですが、もう少し踏み込んで、その人が、自分を裏切るのだから、余程のことがあったのだろうと、想像できれば、違う重いが生まれると思いますが、そんなに簡単ではないでしょうね?(笑)
憎しみは軽くなっても、わだかまりはのこりますからねぇ・・・でも、憎しみが軽くなるだけでも、少しは前に進めるのではとも、思います。
アニメの世界のように、意識で人が繋がれたら、騙されることもなく、気づかない思いやりにも気づけるようになるのでしょうが、
「人は、そんなに便利にはなれない!」
ファースト・ガンダムのセイラ・マスの台詞ですが、今は、なれませんよね。
でも、私は、自分の心が、相手に届くような人間でいたいと思っています。
だから、損得ではなく、自分が納得できるがどうかを基準に生きていこうとしています。
大変ですが、心は軽くなった気がします。
先程、放送されていた番組の中で、
「人の喜ぶ顔を見て、自分が必要とされていることを実感し、その積み重ねが生きる意義・価値となり、力となる。」
このような事を、仰る、お医者様がおられましたが、私も、その方の何百分の一かも知れませんが、私の狭い世間の中で、生きる意義・価値を求めて生きています。