ドラマやアニメ、映画に小説・・・etc、様々な台詞が、何かを考えさせてくれる。


私は、いつも、そんなことを気にしながら、これらのものを見聞きし、読んでいると、前にも書きましたが、その最初のものは小学生から、中学生の頃に流行った


「宇宙戦艦 ヤマト」でした。


地球の外敵、ガミラスの母星での戦いを終え、星一つを滅亡させ焦土と化してしまい、「そこに、都市はなかった」の、ナレーションで始まるシーン。


森 雪の「私たちはなんということをしてしまったの?」 「私には、神様の姿が見えない!」


その言葉に続く、主人公 古代 進の台詞


「俺たちは、生まれた時から人と争い勝つことばかりを教えられて育ってきた。学校に入ってからも、社会に出てからも競争し勝つことを褒められる。しかし、勝つ者がいれば負ける者もいる。負けた者はどうなる?負けた者には、幸せになる権利はないと言うのか?俺は、今迄、それを考えたことが無かった、俺はそれが悲しい、それが悔しい・・・。」


「ガミラスの人達は、地球に移住したがっていた。この星は、いずれにせよお終いだったんだ。地球の人も、ガミラスの人も幸せに生きたいという気持ちに変わりはない。なのに我々は戦ってしまった、我々がしなければならないのは戦うことじゃない、愛し合うことだったんだ!」


「勝利か・・・(絶叫) くそでもくらえっ!」 持っていた銃器を、叩きつけ、投げ捨てる。



私は、このシーンで、泣きました。号泣でした。


今、思うと、臭い台詞であり、理想主義だよと、言われそうですが、今でも、私の考えの根底に息づいています。


人間も、地球上に生息する生物であり、弱肉強食の自然摂理の中で生きていますが、「人間は考える葦である。」と言われたように、知力をもって、生存競争に勝ち、食物連鎖の頂点に登りつめたのではないでしょうか?


その中で、過去から、人類が、他の生物と違うところは?という、論争がありましたが、弱い者を保護し、共に生きることで、その勢力を大幅に増やしてきたというのも、その特徴の一つであると思います。


本来、自然の摂理の前では、生まれた時に障害を持っていたり、体が弱かったりした者や、病気、怪我を乗り越えられなかった者は、自然淘汰の波に飲まれるため、その種族だけが急激に勢力を伸ばすことは少ないものですが、人は、その知恵と文化の発展による、医学、科学、社会システムの発達で、社会的弱者を救済し、生き残る者を増やし、その勢力を急激に拡大してた歴史を持ちます。


自身が、勝者になれなかったからかも知れませんが、資本主義に基づく経済原理だけで勝ち組、負け組と呼ぶような社会に反発を感じていますし、それが新たな争いの火種となっていると感じています。


私が、子供たちの健全育成に関わるボランティアに、熱を上げているのは、勝つのは良いことだけど、負けた者を思いやる心を持って欲しいと考えているからです。


社会的強者が、弱者に手を差し伸べることで、本当の強者として認められる社会、自らのことにしか考えの及ばない社会的強者が、批判されるような社会を構築する為に、将来を担う子供達に、優しい心を持ってもらえるような手伝いを、優しい心持った人達が、評価されるような世の中に、少しでもなっていくように、微力ではありますが、頑張っている、その根底には、「宇宙戦艦 ヤマト」が、あるんです。(笑)