昨日、ブログを見回して見て、改めて、アイルトン・セナの凄さを痛感しました。
それぞれの皆さんの思い入れがあるのでしょうっし、日本のF1ファンの多くがセナと共にF1を観てこられたからなのだと思いますが、亡くなって17年?を経た現在でも、映画になり、命日には追悼のコメントが溢れている・・・スーパースターだったのだと、実感しました。
私は、ブログのお仲間の中でも、年齢が高いので、70年代のF1を観ていて、F1のオールドファンとでも言えば良いのかな?
そんな方々と話すと、ここまで一人のレーサーに思いが込められるのに感心するという話になります。
誤解を恐れずに書くと、某写真家の大先生は「ミーハーなレースファンが多いからだよ」と、言っていましたが、(これも、一つの考え方なので、批判されないようにお願いする次第です。)私自身の考えとは別に、その意味は、分からなくはありません。
レース界、F1界として捉えておられる方からすると、セナは素晴らしいレーサーですが、素晴らしいレーサーの一人に過ぎないのだと思います。
F1や国内のモタスポの創世記を知る人からすると、亡くなったドライバーの数は多いし、その時代のスーパースターも亡くなっている。それも、歴史の一部であり、全てを含めた物が、F1であり、モタスポなんだと・・・そんな考えだと思います。
「俺は、誰かが好きなんじゃなく、モータースポーツが好きなんだ!そんな、誰かの追っかけみたいなファンばかりだから、一人が亡くなったら下火になって文化にならない」とも、嘆いていましたが、これも真実です。
私に言わせれば、モタスポも興行なのでそのようなファンを、呼び込まなければ成立しないし、それをするのが、あなたたちの仕事なのにとは、思いましたけどね。
くれぐれも、誤解のないように繰り返しますが、これはセナファンの方を中傷するものではなく、F1に限れば、古い年代の人には、セナに匹敵すると思えるドライバーが、数多くいて、多くのドライバーの惨い死の歴史の上の
成立しているものであり、60年代、70年代には、現代の剣闘士とも呼ばれ、その死を背負ったギリギリのバトルが、ショーの一部となっていた時代には、ドライバーの死もドラマの一部のようになっていました。
当時のドライバーの名言からも、ドライバーも、それを知った上でドライバーであったのだと思っています。
偉大な、ジャッキー・スチュアートが安全を提唱するまでは、安全よりスペクタクルであったと思います。
「客席から観るF1レーサーは英雄でも何でもない!死のショーを演じる見世物役者さ!」
これは、赤いペガサスで、主人公が言い放つ台詞ですが、実際にあった言葉がモチーフになっていますし、F1の一つの姿を現す言葉だと思っています。
F1サーカスと呼ばれた所以だと思います。
最後に、私の好きなドライバーは
亡くなったドライバーでは、アイルトン・セナ、ジル・ヴィルヌーブ、ロニー・ピーターソン、フランソワ・セヴェール
引退したドライバーでは、デレック・ワーウィック、リカルド・パトレーゼ、ヴィットリオ・ブランビラ、クレイ・レガツォーニかな。