「殺して殺されて、それで、誰か幸せになれるのかよ!」


私の、好きなアニメ、「ガンダムSEED」の中の台詞です。


戦争の中で、互いの友人を殺された、親友同士が対峙し、お互いに「僕の友人を殺したなぁ!」と、なじり合いながらの死闘の末に、相手を倒し生き残った一人が、双方と友人だった人間に、諭された言葉です。


これ、刑法の根底にある、「私的復讐の禁止」に関わる言葉なんです。


こんな風に書くと難しいでしょうが、早い話が、敵討ちを認めてしまうと、敵を討たれた側は、討った側を敵と思い、敵討ちが拡大していくという、考え方を元に、敵討ちを禁じたことをさす言葉です。


ですから、刑罰はは、あくまでも被害者のためではなく、国家、社会の秩序の為に罰を与えるというのが、結果として、被害者感情を無視していると言われる、歪みを生み出したわけです。


しかし、時と場合によっては、感情を押し殺し、理屈、論理のみでの対処が必要な時があります。


「感情を凌駕するのは、理性、理屈である。」これは、亡くなった実父が、若かりし日の私に言った言葉ですが、


感情による対処、感情による反発を生みますが、理性、理屈による対処は、感情で反発すると非難されることになり、感情的な対応を行えば、より強力な対応が国家権力において行われる。


戦争がなくならないのは、より強力な権力による抑止が働かないから、つまり、戦争をしたら、より強力な処罰に襲われれば、やらないが、その、大国をしのぐような、より強力な権力の存在がない事が原因だと、言われています。


戦国時代の日本と同じで、地球規模で、天下統一が成されれば、地球の中での戦争は犯罪となり、減少していくとおもうのですが、いつの日になったら、そこまで、人間は成長できるのでしょうね。