ブログを読んでいて、コメントをする時に、本当は気軽に「頑張って!」と、言えば、サラッと終わる話なんですが、それが、気軽に書けない(言えない)んでですよ。
10年前になるかな・・・私は、弟のように可愛がっていた奴を失いました。
彼は、私が、結婚前に住んでいた、隣の家の子で、私と7歳違いで、反抗期に親の言うことを聞かなくなっても、私の話は聞いてくれ、彼の母親も呆れるくらい、私を慕ってくれていました。
彼を、私から奪ったのは、鬱病でした。彼の様子がおかしいなと、思いながらも気づけずに、
「仕事辞めたんだって?のんびり、ゆっくりやんなよ!でも、たまには外に出ろよ。出不精になるぞ。」
なんて、声かけた、一月後、彼は、帰らぬ人となりました。
周囲の人達は、彼を心配し「頑張って。頑張って。」と、励ましていたそうです。
その時、ハッと思い出したのは、定時制高校に通っていた時に、同級生が登校拒否になり、相談にのっていた時に、その子が、
「友だちも、親も、頑張れって言うけど、頑張っているよ!頑張ったけど、こういう結果になったんじゃん!結果が悪いと、頑張ったことにならないの?」
と、私に聞いてきました。
私自身、結果の出ない苦労は、知っていましたから、
「頑張った、自分は、結果が出ないと、他人には分からないから、努力している自分は、自分で褒めよう。」
と、答えたのです。
今、言えるのは、頑張ってと、私が声援を送りたくなる人は、多分、皆、頑張っているんだと思うのです。
だから、「頑張れ!」という言葉は、時として「これ以上、頑張れって言うの?」と、絶望感を与えてしまうのです。
だから、私は、
「ほどほどに頑張れ、手を抜いて、メリハリつけて、やり過ぎるなよ。」と、言ってしまうのです。
勿論、相手のことを良く知っていて、あと一息で出来る、必ず出来ると、確信したときには「頑張れ!」って、声をかけますけどね。
私は、こんな所から、言葉の重みを感じ、その使い方に注意を払っているのですが、それが、時には、他人に誤解を生じさせてしまうことも、しばしばで、言葉の難しさを、日々、噛み締めています。
もし、このブログを読まれた方で、私がコメントを入れたときに、「頑張れ!」の、一言で良いのに、と思っていた方が居られたら、ご理解頂けたならと、思っています。