「人間は一度でも、本物の愛に出会えれば、それを糧に、どうにかこうにか生きていける。」
「それが、親とか、旦那さんとか、全く別の他人からだとしても。ね?」
「松田 優作 ラストデイズ」という番組の中で、奥様だった、松田 美由紀さんが、語っていました。
重いなぁ・・・この言葉。
お子様が3人おられるそうですが、御主人を亡くされて、その心の支えを、子供たちがいたからとか、友人知人に支えられてという話は、身近でも聞きますが、亡くなった御主人との愛を本物と言い切れる思いの強さ。感服しました。
もちろん、御家族や、友人、知人が支えになったのは、言うまでも無いのでしょうが、優作さんの生い立ちを聞き、自分の理解を超えた世界に、「優作、凄いね。」と言ったら、「俺は、褒めてもらえるのか?」と訊ねられたそうです。「そう言われたら、女はたまんないでしょ?」と笑っておられました。
これを、どう解釈するのかは、人によって違うと思いますが、私の解釈は、
他者が、壮絶な人生と思うような生き方をしてきたのにも関わらず、それを、人から褒めてもらえずに生きてきて、自分の中で普通のこととして処理してきた男性が好きになった女性に、「凄いね。」と、褒められた時、普通のことなのに?褒められたという思いと、やっと褒められたという思いが交錯していたのでは、ないでしょうか?
そして、褒めた女性は、こんな辛い思いをしてきても優しい言葉に、出会えなかったの?そんな、壮絶な人生を、普通のことにしてしまわなければ、生きてこれなかったの?と、思い、それならば、私が褒め続けてあげるし、出会えなかった愛を、与え続けると思ったのではないでしょうか?
私は、勝手に、そんな風に解釈して、涙ぐんどりました。(笑)
何が本物の愛なのか、正直、十人十色、千差万別なんでないでしょうか?
でも、相手の存在が心を暖めてくれれば、愛は感じられるのではないかと思います。
更正した、青少年に話を聞くと、親、先生、先輩、恋人などの顔が浮かぶと、踏みとどまれると言います。
私は、そういう人を思う心が、人を支えているのだと思っていますから、「一度でも、本物の愛に出会えれば・・・」は、そこに通じているものだと思ったのです。
施設出身のボクシングチャンピオンの坂本氏は、講演の中で、子供たちは、自分のことを思ってくれる、信じられる大人を必要としています。どうか、信じられる大人でいてやって下さいと、頭を下げておられました。
私は、子供の痛みに涙できる、子供たちに信じてもらえる大人でありたいし、そのためには、子供たちの土俵では、子供たちに背を向けてはならないと、ここまでの人生で学びました。
もし、このブログを御覧になられた方がおられましたら、そんな大人であって欲しいと思います。