片山右京の登頂成功のニュースを聞いて、仲間の死を乗り越え、その遺志を継いだ、精神力に感動しました。

70年代迄のF1では、レーサーの死は、日常茶飯事と言っても過言ではなかったと思います。

当時、レーサーと潜水士(私、民間の潜水士でした。)は、高額な掛け捨ての生命保険にしか入れない位でしたからね。

レーサー仲間の死を横目で確信しながら、レースを続けたり、親友の事故現場に救助の為に駆け付けたら、まるで、屠殺場のような光景に遭遇したり、それでもレーサーを続けチャンピオンを目指す。

今とは、かなり、レーサーの死生感も違ったのでは、ないでしょうか?
シューマッハーがセナの勝利記録を抜いた時のコメントは、同様の死生感を持つドライバーなんだなと感じました。

同時期のドライバーであった、片山も、同様の死生感を持ち、ドライバー時代に、乗り越える精神力を培ったのかな?と、思っています。

程度の違いはあるでしょうが、人の死を乗り越える精神力を培う方法の一つとして、命をかけて物事に立ち向かい、今迄と違う死生感を持つ事があると、自分の経験からも感じています。

勿論、この方法がベストだとも思っていませんし、シューマッハーや片山右京については、多分に思い込みがあるでしょうし。ちょっと、偉そうでしたね。(笑)
ま、片山右京の快挙に感動し過ぎたという事で、勘弁して下さいね。(笑)