昨日から、2度、ブログの更新に失敗しまして・・・。何が、悪かったのですかねぇ。


童夢さんのブログにも、書かれていましたが、76年の日本GPは、忘れられないです。


初の日本開催のF1に、4人の日本人ドライバーが、スポット参戦、その一人が、星野(以下、敬称略)でした。77年以降は、ほぼ毎年ニューマシン(と、言っても今ならタイプAがBになった程度)が、珍しくありませんでしたが、76年は、モディファイをしながら、3年位は、同タイプのマシンを使用した時代で、星野のマシンは、ティレル007(私の記憶が確かならば、ロータス72やマクラーレンM23に追随して、73年にデビューしたマシン。)で、天候は雨。


早い話が、3年落ちのマシンで、ラウダが危険を訴えて、リタイヤするような天候の中、同一周回で3位を記録。


現在のF1のように、ピットストップによる順位変動の無い中で、GPドライバーを相手に一時的にも3位を疾走!


興奮したし、泣けましたよ!嬉しくて、でも、悔しくて・・・。


確かに、当時のF1は、フルスロットルで完走できる程、完成されていなかったし、レーサーがマネジメントしながら走行するのが当たり前でしたから、自滅覚悟の玉砕走法は、褒められないと言う人も少なくなかったですけど、「外国人には負けない」と、言っていた意地を見せてくれたことに感激をしたのです。


悔しさの訳は、違う機会に、別のドライバーの所で、書きますが、その一部は、中嶋は、ピークを過ぎてのデビューでしたし、本人も力負けだったと振り返っていましたし、亜久里も右京も、F1負け組ですと語っているように、正直、F1で通用するドライバーとは、言い難かったと、私個人は思っています。これは、決して彼らをけなしている訳では無く、カート時代から追いかけ、フランスのエルフ・レーシング・スクールで、プロストのタイムを塗り替えた日本人がいると聞いて、資料を集め期待した、彼らが通用しない壁の高さです。


琢磨や可夢偉が、今までの中で一番可能性があると思うから、速いマシンに乗せて、どこまで通用するのかを、見たいんですよ!


たらればは、無いですが、全盛期の星野や中嶋、生沢を、トップレベルのGPマシンに乗せて上げたっかたと、今でも思います。