「荒れる成人式」が毎年メディアで取り上げられる。
その度に、「待ってました」とばかりに
若者の規範意識の低さや、学校教育の失敗が話題になる。

それは違うと思う。
なぜ、毎年荒れるのか?
それは、荒れされることが目的な人がいるからであろう。
では、なぜ目的化されるのか?
それは、メディアから注目されると分かっているから。
行動分析の観点から捉えると、
注目が「好子」となっていると考えられる。
騒げば、注目される、と。
注目は、ご褒美にほかならない。

そして、最も大事なことだが
メデイアは、「荒れる成人式」を期待している。
もっといえば、大衆も。

誤解を恐れずにいえば
「荒れる成人式」は、「娯楽」なのである。

そして、その映像をみることで
「やっぱり今の若者は・・・」と再確認して断罪したいのだろうし
「やっぱり学校教育の問題だ」と言いたいのだろう。
打って付けの出来事なのだろう。

「荒れる成人式」という物語を、大衆が消費しているのだと考えられる。


あと
センター試験での何らかの「ミス」
これもまた、同様に消費されていると言える。