苦しい、すごく苦しい。 | ふてふて記

ふてふて記

自由、きままなものなのでふてふて記です。

残されるものも
残して行くものも
心置きなく逝きたいのが本音。


新しい出発に向けて
旅立つ人を見送ってあげたい。


それがあの世にいて
いつかまた会えること


この世にいて就職とか転勤、
転校にかわらずに…。




ふと思いを馳せようってときになったら

苦しくなってくる、すごく。



自分もいつかは
あの世にいかなくてはならないんだけど

訃報を聞くたびに
小さいときからいてくれた人

保育園児、幼稚園児
小学生、中学生、高校のときの
10代のときまでに出会った人

20代から今に至るまでのなかで

出会ったのが早い遅いに関わらず

死の間際に
苦しんでなかったかなって
ふと最近思うことがある。



昔は一切なかったんだけどねタラー

ただ亡くなってしまって
悲しいのと寂しいのだけで。


エンディングノートに書き記すことが
これでいいのかって思うたびに

照れ臭くなったり
今見られたらどうしようという
気恥ずかしさもあるし


亡くなった後に見られて
感想などに返答できなくなることが
寂しいのと申し訳ないことばかりで。



江原さんのいう通りに
書き換えるのも手だけど
死んだ後に
伝えるべきものじゃないのもある。

生きているうちに伝えたいことでも
今伝えることは時期早々だし

もう伝えられなくても
いいのかもしれない。




先生が50代で命落として
すごく身近になったのもある。





心配なのは凶悪犯罪者が
バンバン死刑になってるでしょう

自分の精神状態次第で
その凶悪な犯罪者と
同じ魂の階層になってしまう可能性もある。


どうしようって思うよ。


死刑を廃止にして
執行猶予なしの終身刑でいてほしい

魂の観念で見ると
そうしてもらいたいのだけれど

スピリチュアルなこと嫌うからなあ。



死刑になった凶悪犯と同じ
魂の階層にならんように
頑張るしかないけど…

魂の階層が高くても凶悪な犯罪者に
なった人もいるから

死ぬことは難しいことだよ。