発電会社が気に入らなければ、発電会社をチェンジすれはイイだけだったはず。
いまでも、東北電力でも北海道電力でも購入することは制度上は可能なのに、売り惜しみが発生しているのは、「空き缶」の「連休騒動」連休の終わりの夜遅くに浜岡を止めてほかの原発マリー 出会い系は容認すると言ったあの騒動で発電量の3分の一を失って、回復するめどが立たないから。
東電が強気なのは、発電量が絶対的に足らないからだ。
つまり、浜岡を生贄にささげれば丸く収まると高をくくった、「空き缶」と「枝No」の杜撰な政治ショーのツケが周回遅れで、一年後に回ってきただけ。
だから「空き缶」・「枝No」の「計画無き電源改革」とは、ただの無駄づも。
であったということを早く認めないと、郵政改革の二の舞になるぞ。
発電送電分離は性善説の理屈。
しかしビジネスは性悪説の世界。
所詮、性善説は性悪説に敗北するのは、世界の定理。
平清盛は扇をふっても沈む夕日は呼び戻せない。
「枝No」が何を叫ぼうとも、社会の歯車は噛み砕いてゆくだけ。
※電気停止「許されない」枝野氏mediaid4
