木版画 人形浄瑠璃文楽 義経千本桜の弥七 | まいどーおおきに 河内の樹々の独り言

木版画

 人形浄瑠璃文楽 千本桜の弥七


墨摺り
 墨液 奈良玄林堂
 
 和紙 新鳥の子・あすか・畝






毎回能書き多くてすみません。


※人形浄瑠璃文楽とは

人形浄瑠璃文楽は、ユネスコの無形遺産に登録されている名称です。
人形浄瑠璃とは浄瑠璃という語りの芸能と傀儡が出合って生まれたものです。
その起源は「平家物語」などを題材に全国に広まっていた琵琶法師にあります。
琵琶法師が語り伝えていた物語の中の「浄瑠璃姫物語」が非常に人気を博し、
以降、その浄瑠璃姫物語で使われた節などを使用して作られた語りのスタイルを「浄瑠璃」と呼ぶようになりました。
時代と共に傀儡との出合いや三味線の発明などの過程を経て、人形浄瑠璃という芸能の形が整いました。
元禄時代、それまで京で大きな隆盛を見せていた人形浄瑠璃が、竹本義太夫と近松門左衛門の登場により、
彼らの「竹本座」があった道頓堀を中心に大坂で大きな発展と進化を遂げました。
以降の人形浄瑠璃の芝居で使われている節回しを浄瑠璃の中の「義太夫節」と呼ぶようになりました。
江戸時代末期から明治時代頃になると幕末の動乱や文明開花、廃藩置県などの煩雑とした世の中の動きに対して、人形浄瑠璃は下火を迎えました。その頃、淡路から大阪に来た植村文楽軒という人物が人形浄瑠璃の再興に情熱を注ぎ、竹本座から連綿と続いていた竹本義太夫の弟子筋で構成される「文楽座」が誕生しました。
現在でも日本中にはたくさんの人形浄瑠璃の一座が存在します。その中の文楽座、それが人形浄瑠璃文楽です。
 
豊竹咲寿太夫談