等窮が宅を出でて五里ばかり、(一)檜皮[ひはだ]の宿を離れて(二)浅香山あり。道より近し。 このあたり(三)沼多し。(四)かつみ刈るころもやゝ近こうなれば、「いづれの草を花がつみとは言ふぞ」と、人々に尋ね侍れども、さらに知る人なし。
沼を尋ね人を問ひ、かつみかつみと尋ねありきて、日は山の端にかゝりぬ。二本松より右に切れて、(五)黒塚の岩屋一見し、福島に宿る。
明くれば(六)しのぶ文字摺の石を尋ねて、(七)忍の里に行く。はるか山陰の小里に、石なかば土に埋もれてあり。里の童のきたりて教へける、「昔はこの山の上に侍りしを、往来の人麦草を荒らして、この石を試み侍るを憎みて、この谷に突き落とせば、石のおもて下ざまに伏したり」と言ふ。さもあるべき事にや。
早苗とる手もとゃ昔しのぶ摺
注釈
(一)福島県安積郡日和田町。奈良時代の安積の宿
(二)歌枕。安積の采女「安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心をわが思はなくに」(万葉集、巻十六)で有名
(三)歌枕。読人不知「陸奥のあさかの沼の花がつみかつ見る人に恋ひや渡らむ」(古今集、恋四)
(四)陸奥では五月の節句に菖蒲の代用にかつみを葺くことが悛頼髄脳などに見える。この日は五月一日で、節句も間近い。
「かつみ」が菰の異名であることは平安朝以来の諸説一致しているが、「花がつみ」は、菰の花、蒲の花、花菖蒲、かたばみ、などの説ががある。
(五)二本松の東二十余町にあり、鬼の岩屋として有名。これは拾遺集雑・大和物語の平兼盛の歌「陸奥の安達が原の黒塚に鬼こもれりといふはまことか」が本になってできた伝説で、謡曲「鬼塚」はそれを脚色したもの
(六)陸奥から産出した「しのぶ摺」の衣を摺るのに用いた石と伝えるもの。源融、「陸奥のしのぶもぢ摺たれゆゑに乱れそめにし我ならなくに」(古今集・恋)
(七)「しのぶ」という村の名ははない。信夫郡岡山村字山口にその石ははあった。福島の東北一里