松尾芭蕉 奥の細道 十三 白川の関
心もとなき日かず重なるまゝに(一)白川の関にかゝりて旅心定まりぬ。(二)いかで都へと、便求めしもことわりなり。中にもこの関は(三)三関の一にして、(四)風騒の人、心をとゞむ。(五)秋風をを耳に残し、(六)紅葉を面影にして、青葉のこずゑなほあわれなり。(七)卯の花の白妙に、いばらの花咲き添ひて、(八)雪にも超ゆる心地ぞする。(九)古人冠を正し、衣装[いしやう]を改めし事など、(十)清輔の筆にもとゞめおかれしとぞ。
卯の花をかざしに関の晴着かな 曾良
(一)福島県西白河郡古関村字旗宿から一里。奥羽に入る関門として古来有名な関所
(二)「便りあらばいかで都へ告げやらむけふ白河の関は越えぬと」(拾遺集・平兼盛)
(三)東国三関、勿来(なこそ)の関、白河の関、念珠(ねず)の関
(四)詩人、歌人のこと
(五)能因、「都をば霞と共に立ちしかど秋風ぞふく白河の関」(後拾遺集)
(六)源頼政、「都にはまだ青葉にて見しかども紅葉散りしく白河の関」(千載集)
(七)藤原季通、「見て過ぐる人しなければ卯の花の咲ける垣根や白河の関」 (千載集)
(八)僧都印性、「東路も年の末にやなりぬらむ雪ふりおける白河の関」(千載集)
(九)袋草子に竹田太夫国行といふ者が、昔龍因法師が名歌を詠んだこの関を、常服で通るのは礼に反するといって、服装を正して通った話が出ている
(十)藤原清輔。平安朝末の六条家の歌人、歌学者。袋草子、奥義抄等の著がある