奥の細道 松尾芭蕉 九 黒羽に日を経る
黒羽の館代(二)浄坊寺何がしの方におとづる。思ひがけぬ主の喜び、日夜語りつゞけて、その弟(三)桃翠などといふが、朝夕の勤めとぶらひ、みづからの家にも伴ひて、親族の方にも招かれ、日を経るまゝに、ひと日郊外に逍遥して、犬追物(四)の跡を一見し、那須の篠原を分けて、玉藻(五)の前の古墳を訪ふ。それより八幡宮(六)に詣づ。与市扇(七)的を射し時、「別しては(八)我が国氏神正八幡」と誓ひしも、この神社にて侍ると聞けば、感応(九)ことしきりに覚えらる。暮るれば桃翠宅に帰る。
注
(二) 「館代」は藩主の留守居役。浄坊寺図書高勝。俳号秋鴉
(三) 正しくは翠桃。本名 鹿子畑善太夫豊明、黒羽の西余瀬村に住んでいた
(四) 馬場の中に放った犬を騎馬で射る武技
(五) 近衛天皇の代の妖姫で、三国伝来の金毛九尾の狐の化生。天皇の寵姫となったが、露見して逃げ、那須野で退治されたと伝える
(六) 金丸村にある那須八幡神社。那須湯本の温泉神社に合祀されている
(七) 那須の与市。源義経の臣。屋島の戦いの時平家の船にかゝげた扇を射た話は、平家物語で有名
(八) 「別しては我が国の神明、日光権現、宇都宮、那須温泉大明神、願はくば扇の真ん中射させてたばせ給へ」(平家物語)
(九) 神仏の霊験に感じて、信仰の念がわくこと