はるかに一村を見かけて行くに、雨降り、日暮れる。農夫の家に一夜をかりて、明くればまた野中(四)を行く。そこに野飼ひの馬あり。草刈るをのこに嘆きよれば、野夫(五)といへどもさすがに情け知らぬにはあらず、「いかゞすべきや、されどもこの野は縦横に分かれて、うひうひしき旅人の道踏みたがへんあやしゅう侍れば、この 馬のとゞまる所にて馬を返し給へ」と、貸し侍りぬ。小さき者二人、馬のあとしたひてひたる。一人は小姫にて名をかさねと言ふ。聞きなれぬ名のやさしかりければ
かさねとは八重撫子(六)の野なるべし 曾 良
やがて人里に至れば、あたひを鞍壺に結び付けて、馬を返しぬ。
注
(一) 栃木県那須黒羽町。大関信濃守の城下町
(二) 次の段によれば、黒羽の館代浄坊寺図書高勝のこと
(三) 普通は日光→今市→大渡の道順であるが、五右衛門から近道を教わって、野口→瀬尾→室→渡 の順路を取った。
(四) 曾良の日記に「同晩(二日)玉入(たまにゅう)泊。宿悪シキ故無理ニ名主の家二入リテ宿カル」とある(五) 田夫野人の意。昔は物の道理を知らぬものとされていた。
(六) 「撫子」の花は、古来可愛い子供にたとえる。たとえば「山がつの垣は荒るとも折々は科晴れをかよ
撫子の露」 (源氏物語・帚木)