奥の細道 松尾芭蕉 八 那須の野越え | まいどーおおきに 河内の樹々の独り言
那須(一)の黒羽といふ所に知る人(二)あれば、これより野越えにかゝりて直道(三)を行かんとす。
はるかに一村を見かけて行くに、雨降り、日暮れる。農夫の家に一夜をかりて、明くればまた野中(四)を行く。そこに野飼ひの馬あり。草刈るをのこに嘆きよれば、野夫(五)といへどもさすがに情け知らぬにはあらず、「いかゞすべきや、されどもこの野は縦横に分かれて、うひうひしき旅人の道踏みたがへんあやしゅう侍れば、この  馬のとゞまる所にて馬を返し給へ」と、貸し侍りぬ。小さき者二人、馬のあとしたひてひたる。一人は小姫にて名をかさねと言ふ。聞きなれぬ名のやさしかりければ

 かさねとは八重撫子(六)の野なるべし   曾 良
      
やがて人里に至れば、あたひを鞍壺に結び付けて、馬を返しぬ。




 (一) 栃木県那須黒羽町。大関信濃守の城下町
  (二) 次の段によれば、黒羽の館代浄坊寺図書高勝のこと
  (三) 普通は日光→今市→大渡の道順であるが、五右衛門から近道を教わって、野口→瀬尾→室→渡   の順路を取った。
  (四) 曾良の日記に「同晩(二日)玉入(たまにゅう)泊。宿悪シキ故無理ニ名主の家二入リテ宿カル」とある
  (五) 田夫野人の意。昔は物の道理を知らぬものとされていた。
  (六) 「撫子」の花は、古来可愛い子供にたとえる。たとえば「山がつの垣は荒るとも折々は科晴れをかよ
     撫子の露」 (源氏物語・帚木)