むかしの話を掘り起こしてみた
2009年10月24日付けの某紙朝刊の政治面にこの様な記事が載った
天皇のお言葉「工夫を」、当時の岡田外相が提起「不適切」批判も・・・・・
この記事は国会開会式での天皇陛下の「お言葉」について
「陛下の思いが入ったお言葉になるよう工夫できないか」
と提起したことが取り上げられている
一般の国民とは明らかに違う空間に在位する「象徴天皇」は、災害被災地についての
「お言葉」や、園遊会での「お言葉」を聴いていても、確かに言葉少なめな同じあいさつや、ねぎらいの「お言葉」を話しているような気がする
私は昭和天皇の「戦争責任」について、‘ 戦争責任の決着をどうつけるのか ’
【中央公論2003年二月号】をいまだに机の上において、時があれば読むようにしている。
私のような凡人が、幾らこの様な本を読んでも心は晴れない。
私が生まれる前に起きた、我が国の国民や軍人たちの不幸を思うと何かすっきりとしない。
天皇一家は近寄りがたい存在であると思う、したがって乗り越えられない厚い壁をぶち壊して、「象徴」等と呼ばずに一般国民レベルの生活をすれば「言葉」が通じる(?)のではないかな?