ここ2週間あまり、長女が突然
「鬼ってなあに?」
「なんでお豆とお魚なの?」
「どうして春になると鬼が来るの?」
などとと聞いてくるようになりました。
聞くと、幼稚園で節分についての学びをしている様子。
最初、「鬼ってなあに?」「節分ってなあに?」
くらいの質問の間は、
わたしも通り一遍の常識的な回答をしていたのですが・・・
「どうして立春に鬼やらいを行うのか」
「大豆や鰯の呪術的な意味合いは?」
という深堀りした質問をされるに至って、
これはいかん!
と背筋を正しました。
わたしが研修医だった頃、
指導医に何か質問をしたときに一番嬉しかったのは、
「良い質問です」「大事なポイントです」
と肯定してもらえること。
次に嬉しかったのは
「それは即答できないから、今から一緒に調べましょう 」
と言ってもらえること、だった
どっちもできてなかったよぉ〜〜〜
子供と侮ってはいけない、誠実に対応しようと思っていたのに、
流されていました
そういうわけで調べてみました。
民俗学の素養がないので、適切な文献チョイスじゃない可能性は多分にありますが、
ひととおり目を通したのは以下。
調べた結果、完全に迷宮に入り込んだので、以下は箇条書きで失礼しますね
限られた時間での検索ですので、この理解にはご批判もあろうかと思います。
【成り立ちに関して】
- 現代の節分は、陰陽五行説に基づく「節分」「追儺」が合体し、15世紀半ばごろに民衆文化の一部として形作られたと考えられるが、詳細は定かではない。
- 「節分」は立春に読経、方違、四方拝をしたりして「災難除け、延命祈願」をするものであった。
- 「追儺」は除夜に行われる「厄疫退散=疫鬼を祓う」の儀式であり「桃弓葦矢」を使って方相氏が鬼を追い払うパフォーマンスをしたり、四方拝、祭文読唱などの要素があった。
- つまり中世以前の貴族社会で行われていた「節分」「追儺」には「豆をもって鬼やらいをする」という要素ははっきりしない。
- しかし15世紀半ばには「炒り大豆をもって鬼をはらう」という一種の「厄落とし」の意味合いが、民衆に定着していたようだ。
- わたしの思考「おそらく現代の節分風習は、貴族階級が直輸入した形での節分+追儺だけが構成要素ではない。そこに民衆土着の日本的な思考回路が重なっているはず」
【陰陽五行説における節分、鬼、豆などの呪物】
- 陰陽五行説では、鬼=於爾=隠=陰=冬を追い払って、陽=春を呼ぶという位置づけ。
- 春は木の属性であるため、豆=金を投げ捨てる事によって木を強める。つまり豆は鬼を攻撃する武器ではないことに注意。
- 柊は冬の象徴、鰯は水=冬の象徴。これを痛めつけることで更に冬を追い払う。
- わたしの思考「豆や鰯が陰をはらうという要素は既成事実として伝わっていたのだろう。しかし意義の理解は部分的に失われた。」
【厄払いとは何か】
- 「厄払い」の概念。「厄」は実体であり、祓われたら雲散霧消するものではない。
- 「厄」を何かに託して異界に一度追い払うことによって、厄を福に転化し、人々に還元するという構造がある。
- わたしの思考「この概念は厄を豆に乗せて一度追い払い、福に転換して呼び込んだ上でその豆を食べる、という論理展開につながるだろうか?」
【鬼とは何か】
- 元来日本の「鬼」は必ずしも「邪悪」を意味しない。「強いもの」という意味合いがある。
- 例えば「大和朝廷に歯向かい討伐された豪族 (例:スサノオノミコト)」「朝廷に恨みをもって死んでいった怨霊(例:菅原道真)」が鬼神、悪神として祀り上げられている。
- 「鬼はそと」と言わない地域がある。例えば群馬県鬼石町では「鬼はうち、福はうち」といい、全国から追い出された鬼が集まる場所となっているという。
- わたしの思考「これではもはや鬼=疫病でもなければ、鬼=冬でもないのでは。完全に日本独自の鬼の定義になってないか?」
・・・これ、どうやって3歳児にプレゼンしたらいいのかな
しかも全部推測じゃん
民俗学の奥深さよ。
そして何でもかんでも換骨奪胎してしまう、我ら日本人の性質よ。
大変興味深い思索の旅でした。
きっかけを与えてくれた幼稚園と長女に感謝です
ではでは。