今日は阪神大震災が起こって14年目。
もうそんなに経つんだという気もしますが、いまだにその被害を引きずったままの人もいらっしゃることでしょう。

当時まだ関西勤務だった僕は震災の朝、大阪の東淀川区に住んでいました。
深刻な被害は出なかった地域でしたが、いや~揺れましたね。
後から震度を聞いてみると震度5くらいだったらしいですが、家具とかが揺れにあわせて横滑りするぐらい揺れました。


寝ぼけていたからよく覚えていないけど。(^▽^;)


揺れが収まってしばらくは目が覚めていたのですが、神戸があんなことになっているとは知らず、二度寝。(←緊張感なしあせる


しばらくするとどこからか電話の音が…。
寝ぼけつつ電話に出ると会社の上司。

どうやら大変なことになっているらしいことを知らされ、
とりあえず電車とか止まってるので、お前はバイクに乗ってるから行って劇場を見て来いと言われました。


ぶつぶつ言いながら愛車SRX-4で道頓堀の劇場にたどり着いてみると、劇場の窓や壁にところどころヒビが…。
「ヒビがはいってますね~。(のんき)」と電話で報告すると「とりあえず様子をみとけ」といわれて待機。
古い建物のわりに頑丈でしたね。


この劇場は映画館と演芸場が一緒に入ってる劇場だったんだけど、さすがに今日は休むよな~と思いながら待っていると、やがて電車が動き始めて他の人たちも出社してきました。

で、劇場をあけるかどうかお客さんの集まりを見て決めようということになり…


…さすがに来ねーよ、と思っていたら…


並ぶんですね…。


タダ券持って。

大阪のおばちゃんは強いよ。
そんなこんなで遅れたものの普段どおり営業開始。


不思議といつもどおりに流れていく時間の中で、テレビに映る悲惨な光景はどこか遠い世界で起きているような気がしました。
歩いても行けるような、ほんの少し離れた場所で起きていることなのに。


崩れて燃えさかる街が映し出され、続報が入るたびに増えていく被害。
後からわかったことですが、少し前までこの劇場で働いていた、まだ20代半ばぐらいの女性も神戸で亡くなっていました。
家の下敷きになって。

何が運命を分けてしまうのか。
この日亡くなってしまった多くの人と、2階の演芸場で笑っている人。


でも、こんなことが起こっても平気で笑っていられる、何とかなると開き直るバイタリティが街を復興し、活気づけていった原動力なんでしょうね。




僕自身に影響があったことといえば、うちのツマとつきあう一番最初のきっかけになったことでしょうか。

前述のように、後にも先にもこの日だけ僕はバイクで出勤しました。
それまで眼中になかったどころか、むしろ避けてたぐらいだったらしいのですが、バイクに乗ってるところを見てちょっとステキ、と思ったそうです。(←後から聞いた)


ん~、ということはもしかするとこの地震がなければ、その後付き合うことも、

ましてや結婚することなどなかったんでしょうね。




不思議ですね、巡りあわせって。