リブログさせていただきます。

(仏光さんのお言葉です:2022.04.05)

 

ありがとうございます。

今日も人生に感謝いたします。

 

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今日は朝から晴れて、二日ぶりにロードバイクトレーニングをしました。朝は狩野川沿いのコースを北条義時の館跡まで、往復30kmの平地トレーニングです。北条義時の館跡の横にある守山公園辺りはとっても桜がきれいで、道の両側の桜の木から張り出している枝にぎっしり花が咲いて、桜のトンネルみたいになります。

 

先週の土曜日に走った時がちょうど満開で、早朝の澄んだ空気の中、とってもきれいな桜のトンネルをピナレロのロードバイクで走り抜けていく時、「ここは極楽か?極楽とはここのことか?」と思いました。一々死ななくても、生きたまんまでこの世も極楽になります。

 

今日の朝はもうその桜は散り始めていました。昨日の雨で花がだいぶ散ったと思います。守山公園で引き返して、今来た道を逆方向に走っていくと、今度は目の前に真っ白に雪化粧をした富士山が現れました。この二日間の雨が富士山では雪だったのですね。青空に映える白い富士山のその姿がとっても美しくて、「やっぱりここは極楽だ」と思いました。

 

極楽や地獄は、死んでから行くところではなくて、その人の心の中にあるのだと私は思いますよ。心の置き所一つで、この世は極楽にもなり地獄にもなるのです。その人がねたみ、怒り、嫉妬し、悲しみ、心配して落胆していると、この世はその人にとっては地獄になります。

 

逆に感謝し、楽しみ、親しみ、嬉しく思っていると、この世が極楽になるのですね。こういう話があります。臨在禅の中興の祖と言われている「白隠和尚」という人が、江戸時代に静岡県駿河の国に居ました。そこへ西国九州から一人の武芸者が訪ねてきました。小僧が取次ぎをすると、白隠和尚は「放っておけ」と言ってその武芸者に会おうとしません。

 

武芸者は、白隠和尚に会いたくて九州から歩いて尋ねて来たのです。簡単にあきらめるわけにはいきません。白隠和尚が居る寺の門前で三日三晩立っていました。小僧が見かねて「あの武芸者がまだ門の外に居ます。」と白隠和尚に伝えると、和尚は「よし、通せ」と言いました。

 

武芸者は白隠和尚の部屋まで小僧に案内されて来ました。武芸者は威儀を正して、丁寧に礼を述べた後、和尚に「私は武芸者で命のやり取りをしなければなりません。死んだら極楽とか地獄があるのでしょうか?」と聞きました。

 

白隠和尚は急に険しい顔になって「お前は九州からそんなくだらないことを聞きに、わしのところへそのアホ面下げて来たのか!今すぐ帰れ!」と一喝しました。武芸者はそれでもあきらめきれずにそこに座っています。白隠和尚は武芸者の顔の前にしゃがみ込んでおでこを小突きながら、「この馬鹿が!帰れ帰れ!」と言って立ち上がり部屋を出て行こうとしました。

 

武芸者はさすがに腹が立って、「このくそ坊主・・・!」と横に置いてある刀に手を伸ばしました。その時、白隠和尚がばっと振り向いて、「それが地獄だ~!」と言いました。

 

武芸者ははっと気づいて、頭を畳にこすりつけながら「申し訳ありませんでした。よく分かりました~!ありがとうございます。」と言いました。

すると白隠和尚は武芸者の前にまたしゃがみこんで、ニコニコしながら「それが極楽だ!」と諭しました。極楽や地獄は人の心の中にあるといういい話です。

 

私たちは今が苦しいから、「死んだら楽になる。もっといい世界に行ける」などと思いますが、それは大きな間違いです。

 

本当の極楽や地獄は今の私たちの心の中にあるのですね。やっぱりきれいな桜のトンネルを抜けて、真っ白な富士を眺めながらロードバイクで走っているのは極楽です。今日も私は極楽に行けました。ありがとうございます。

 

合掌

 

仏光

 

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