世の中には様々なニュース媒体があり、しかもそれぞれ特色がある。様々なニュースの中で与党見解に基軸を置いたニュース、野党のリベラリズムに焦点をあてた記事など。また、超が付くほど右翼的支持層に支えられた報道もある。安倍政権下のように熱烈なサポーター(テレビのコメンテーターなど)に支えられた情報によって国民の事実認識が一方向に誘導されていた部分もあったように思う。

 

今、自民党裏金問題が自民党独自の問題として浮上しているが、この自民党裏金問題が当たり前のこととして永らく地下に潜伏していたのは、政権に迎合的なメディアの存在があったことも無視できない。メディアがウオッチドッグの役割を果たすどころか飼い犬のように手名付けられてしまった結果ともいえる。

 

毎朝、何気なく耳に入るテレビのニュース。おなじみのニュースキャスター、コメンテーター、そして政権サイドから政権に都合がいい情報発信をする番記者。馴染みの顔でもある記者は単にニュースを伝えるだけではなく、いわゆる視聴者にわかり易いニュースと称して彼ら流の解説で、ニュースの上澄みだけを拡散する。これらの政治ストーリーは面白ければ面白いほど極秘の事実であるかのようにあっという間に国民に広がる。

事実を伝えようとするメディアより、少しばかり味付けされた面白いニュースに期待は集まる。

 

ちなみに、今日、6日の朝の番組「羽鳥モーニングショー」。

お馴染みの政治ジャーナリストの下で、いつものメンバーによる自民党の政治資金改正案についてのトーク。玉川氏を除いて他のお二人の”トーク”について考えてしまう。まず、思うのは、コメンテーターとして噂話もどきの感想に終わってしまうトークの意義はどこにあるのだろう。

 視聴者にとっても気を付けなければならないのは、このような番組をバックミュウジック代わりに聴き続けることでいつの間にかニュースに取り込まれ流されている自分に気づくことがある。

 

番組での出演者間の様々な意見交換は興味があるところだが、そのほとんどが噂話の域を出ていない。自身の感想は述べるが(それも二番煎じ)、自ら発見した事実は皆無である。少なくともコメンテーターとして、政治ジャーナリストの意見を待つだけでなく、実際の国会質疑、それぞれの党の質疑をその耳でじっくり聞いたうえで自身の意見をまとめておくべきでコメント内容の真偽にかかわることでもある。

 

職業上多方面に影響を与えるコメンテーター。メディアの端くれとしてそれなりの努力は職業倫理上当然ではないかと思う。