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 前回・『第三章・その2「旅立ち」』

 

「泳ぎたくなりませんか」


 エノシマが軽口らしき物を発したのは初めてだったので、ヒョウとアルトナルドは少々意外に感じると同時に、嬉しくも成った。


 再び三人は船の上、海の上に居た。陽射しは程が良く、波も穏やかだった。


「揺れさえしなければ」


 ヒョウは、顔をしかめた。


「お嫌いですか」


 ライオレアの動きは、早かった。宴が終わる前に家令を呼び、命令を下していた。

 さすがに驚きは隠せない様だったが、異議が唱えられる事は無かった。

 四日後には、船出していた。


 無論それまでに、ヒョウ達は、新たな雇い主であり旅の仲間である赤覇エルフの貴族について、様々な話を聞き集めていた。

 印象通りライオレアは、ガイゴリアの者達と交わる事無く暮らしていた。

 もっとも、出入りする商人であるとか、関わり有る者達の評判は、悪く無かった。

 金払いがしっかりしているのみならず、当人も使用人達も物腰が良く親切で、何より得難い事に、仕事の良し悪しに対する眼力が有った。


 家令は、細身で白髪の人間の男だったが、バルゥルルクという名だった。

 家令と言われて思い浮かべそうな、主に振り回される実直な人物、というのが最初の印象だったが。

 何日か接している内に、懐が深く底を見せない、動じない資質が見えて来た。

 その気に成れば、ライオレアに言う事を聞かせられる自信も有る様だった。

 ヒョウ達に対して、というより誰に対しても容易に心情は見せない印象だったが、どうやら嫌われてはいないとヒョウは、感じていた。

 いきなり、アイカリアに戻る旅をする事に成ったについてどう考えているかも、判らなかった。


 護衛隊長のジャノスは、肌の白い銀族エルフだった。やはり寡黙だったが、心情を隠す感じでは無かった。


「お前達、良く判らん……だが、腕は有りそうだ」


 初めて顔を合わせた時の、一瞬の探り合い、試し合い後の第一声が、これだった。

 ヒョウ達も、目の前のアイカリアの兵士に腕が有るのを見て取っていた。

 エノシマとは特に、互いに通じ合う物を覚えている様だった。

 「元々エノシマも、主君に仕える戦士だから」ヒョウは、心の中で呟いた。


 ライオレアに仕える者達で一番興味深かったのは、料理人だった。

 腕は、確かだった。

 ケルという名前のその人間の男は、完全に剃髪した頭が目を引いたが。ずっとライオレアに仕えていた訳で無く、アイカリアの者でも無いらしかった。

 突然フラりとやって来て売り込んで来て、その前に別の貴族の所で働いていたのを雇われる事に成ったが。

 過去については語らないがどうやら、あちこち放浪しつつ、働き口を転々としているらしかった。

 四年前の事で、それから辞めていないのは当人の、最長との事だった。

 腕前は、ヒョウ達も舌で確認していた。


 船長に関しては、皆の評価は低かった。

 緊急に雇い入れ、たまたま空いていたのが此の船だったという事だったが。逆に言えば、だから空いていたのかもしれなかった。

 無論、仮にも船長を務めるからには、仕事を心得ていないという事は無かったが。

 ライオレアに対し、当人が喜ばない所のおべっかを使う傾向が有り、一方ヒョウ達に対しては、自然と見下して来る印象だった。

 ガイナルト船長と比べてしまう為に余計に、キツい見方に成ったというのは、有ったかもしれない。


 気楽な船旅、といった趣も有ったが。

 無論、そういった物では無かった。


 イスキオールと共に、旅をしている。


 ヒョウが感じていたのは、恐怖というより緊張だった。


 謎の存在は、厚手の布で何重にもくるまれ、頑丈な木箱に入れられ、船倉に在った。

 他にも、関係無い様々な物が、或いは同じ布で厚くくるまれ、或いは別の布でくるまれ、或いは剥き出しに、入れられていた。

 似た木箱が他に、幾つか有った。


 それを手に入れる為に大勢の血が流された存在の仲間と、旅をしている。


 ザイゴリアの動向も、忘れてはならない。


 死への恐怖は無論有ったが、それよりも、何か刻限に追われている訳では無かったが、焦りに似た気持ちが有った。

 とにかく、謎が多過ぎた。

 死ぬ事はさておき、それらに一応の形も付かない内に、何も判らないまま此の世を去るという事はしたくなかった。


 自分では大半どうにもならない、大きな何かに流されている感覚。

 外目には、落ち着いて見えたかもしれない。


 (続く)