これは転載記録させてもらう

 

私が見知ってるのは

どう伝えるかのジェスチャーだが

欧州内でもこういう違いが・・

 

めっちゃ興味の部類

 

 

 

そういや少し前にスウェーデンの研究者たちが

「イタリア人のジェスチャーが
多いのは本当なのか?」 

「もしそうなら、それはどうしてなのか?」

という嘘みたいなイタリアに注目した
真面目な研究をしていたのですが。

予想通り、イタリア人はスウェーデン人の2倍近く、
ジェスチャーを使っていました。

ただ面白いのはここから。
「彼らは物語に対するジェスチャーは
相対的に控えでした。」

これがどういうことかと言えば、
ジェスチャーには主に2種類あります。

(続く1

さて、まず研究の方法はこうです。
まず、イタリア人とスウェーデン人、
それぞれ12人ずつを集めます。

年齢や性別のバランスはほぼ同じ。
全員大学生で、母語はイタリア語か
スウェーデン語です。

彼らにお願いしたのは、
90秒間のアニメーションを見ること。

そのアニメは、ペンギン一家の
クリスマスの様子を描いたもの。

ペンギンのお父さんとお母さんが
ツリーを飾り付けたり、
子供たちがクッキー作りを手伝ったり。

でも、面白いことに、セリフは一切ありません。

ストーリーを理解するには、
映像をよく見るしかないのです。

アニメを見終わったら、
今度は隣の部屋で待っている友人を呼びます。
その友達は、アニメを見ていない設定。

つまり、今まさに見てきた人が、
アニメの内容を話して聞かせないと
いけないわけです。

(続く2

ストーリーを言葉だけで伝えるのは、結構大変。
だから自然と、身振り手振りも交えながら
説明することになるんですね。

その様子を、ビデオカメラで
しっかり撮影していたわけですが。

さて、気になる結果ですが、まず目を引いたのが、
全体のジェスチャーの「量」の違いです。

予想通り、イタリア人はスウェーデン人の約2倍、
ジェスチャーを使っていました。

具体的には、100語あたりのジェスチャーの数が、
イタリア人は平均22回、スウェーデン人は11回。
この差は、統計的にも有意なものでした。

つまり、同じ長さの話をするのに、
イタリア人はスウェーデン人の
倍のジェスチャーを使う、ということ。

ここまではある意味、
「常識」を裏付ける結果と言えるでしょう。

ですが「ここから面白いのが種類です。」

一口にジェスチャーと言っても、
大きく2つに分類できます。

1つは「描写的(リファレンシャル)ジェスチャー」
話の内容に直接関係する、
具体的な事物や動作を表すジェスチャーのことです。

例えば、「ケーキを切る」という言葉と一緒に、
包丁で切るしぐさをするとか。

「ボールを投げる」と言いながら、
投げる動作を真似てみせるとか。

要は、言葉の意味を視覚的に
「描く」ようなジェスチャーですね。

もう1つが
「語用論的(プラグマティック)ジェスチャー」

簡単に言うと、話し手の気持ちや
意図を伝えるためのジェスチャーのこと。
日本人も苦手な部類のジェスチャーですかね。

例えば強調したいところで手を大きく動かしたり、
「1、2、3」と数を数える時に指を折ったり。

あるいは会話の区切りで手を
1回たたいたりするのも、これに入ります。

つまり話の内容そのものではなく、
話し手の「言外の思い」を伝える、
メタメッセージ的なジェスチャーです。

2つの違いを具体例で説明すると、
例えば物語で「本当に大きいお菓子の家があった」
と言ったら、大きく両手いっぱい広げて、表現する。

物語を思い浮かべる。
これは「描写的ジェスチャー」になります。

それに対して、アゴを大きく開け、手を抑え
「オーマイガー、ありえない」みたいな表情をする。

これは自分の気持ちを表している、
「語用論的ジェスチャー」になります。

(続く3

イタリア人は後者のジェスチャーが多いのですね。

数字を見てみましょう。 
スウェーデン人の場合、全ジェスチャーのうち、
描写的なものが80%、語用論的なものが20%。 

つまり「描写的ジェスチャーが圧倒的に多い」
です。たぶん日本人も一緒だと思います。

一方イタリア人は、
描写的が39%、語用論的が61%。 

こちらは逆に、語用論的ジェスチャーが
過半数を占めています。

言い換えれば、同じ物語を語るのに、 
スウェーデン人は「何が起きたか」を
身振りで具体的に示し、 

イタリア人は「どう伝えるか」に重きを置いている。


これは文化の違いなのでしょうね。
さて、これは論文の研究者の意見と、
私の仮説が入りますが、

1つの仮説は、「物語」に対する
文化的な価値づけの差異です。

物語を「語る」ということ自体に、
文化によって異なる意味や重要性が与えられている。 

日本もたぶんこっちの方が強いと思います。

そのことが、話の内容の組み立て方、
ひいてはジェスチャーの使い方にも
影響しているのかもしれません。

例えば、
「物語は事実を正確に伝えるべきだ」という
価値観が強ければ、 具体的な描写に重きが置かれ、
結果としてより「描写的」なジェスチャーが
多用されることは予想できます。

反対に、「物語は聞き手を惹きつけ、
楽しませるべきだ」という考え方が主流なら、
語り手の表現力や存在感が前面に出て、
「語用論的」なジェスチャーが増える。

これはよく言われることですが、
イタリア人男性は恋愛的にも情熱的と言われます。

「この人が好き!」となったら、
当たって砕けろ精神で積極的に口説く。

つまり「物語の正確性」は二の次で良いのです。
「相手を楽しませるなら、
語用論的の方が優位的になります。」

もう少し歴史を見てみましょうか。

EU圏の中ではスウェーデンは
個人主義の国
として知られています。 

つまり、人と人との結びつきより、
個人の自立性を尊重する文化。 

だから物語でも、各個人が
それぞれの視点から経験を語ることに重きが置かれ、 
結果として描写的ジェスチャーが
多用されるのではないと説は立てられます。

それに対し、イタリアは、
家族や地域社会の絆を何より大切にする文化
です。

会話はそうした人と人とのつながりを確かめ合う、
コミュニケーションの手段。 

だから物語の中身より、
いかに情熱的に語るかが重要視され、 
語用論的ジェスチャーが多くなるのかもしれません。

もちろん、これはあくまで一つの解釈に過ぎません。

言語学的な違いや、教育のあり方など、
他の要因も絡んでいるでしょう。

でも興味深いのは、
こうしたジェスチャーの違いが、 
「物語をどう概念化するか」という
無意識のレベルで反映されていること。

つまりジェスチャーは、
言葉だけではわかりにくい、 文化に根ざした
一種の「文化の窓」とも言えるかもしれないです。

そう考えると、ジェスチャーの研究は、
言語学や心理学を超えて、 文化人類学的にも、
とても意義深いテーマだと言えそうですね。

異文化コミュニケーションの
ヒントもたくさん隠れていそうです。

意外と奥深い結果で面白かった論文でしたよ。

引用元1:Frontiers | Providing evidence for a well-worn stereotype: Italians and Swedes do gesture differently
https://frontiersin.org/articles/10.3389/fcomm.2024.1314120/full