なんと……朝香宮家のお生まれの元「誠彦王殿下」が訪韓時に韓国・公州市にご寄贈になった、日本皇室が数百年にわたり所蔵してきた沈香などが、いつ無くなったかもわからない状態だと。
— 中原 鼎(皇室・王室ライター) (@NAKAHARA_Kanae) November 19, 2023
日本の皇室関係者が公州市に寄贈した武寧王陵の祭需品、10年以上行方不明のままhttps://t.co/1PozgDFNa0
不幸中の幸いとでもいうべきか、このニュースによって2004年の朝香誠彦さまの訪韓が私的訪問ではなくかなりの特別待遇を受けていたことがわかる。
— 中原 鼎(皇室・王室ライター) (@NAKAHARA_Kanae) November 19, 2023
日本の皇室関係者が公州市に寄贈した武寧王陵の祭需品、10年以上行方不明のまま
— 朝鮮日報日本語版 (@chosunonline) November 19, 2023
2004年、天皇家の関係者が武寧王陵を訪れた後、忠清南道公州市に香炉と沈香を寄贈した。https://t.co/lYWU6t4a9z pic.twitter.com/A1sUJ196ZM
香炉は磁器、香は沈香で、皇室において数百年所蔵してきた香だという。
「率直に言って、行方不明の事実は後になって知りました。展示改変の過程で、管理不十分により無くなったもののようです。(中略)日本の寄贈品も、模型だろうと思って一緒に入れ替える際に無くなったんじゃないかと推測しています」
2001年12月23日に、当時の天皇は、68歳の天皇誕生日記念記者会見でこのように述べた。「桓武天皇の生母は武寧王の子孫だと『続日本紀』に書いてあり、韓国との縁を感じる。武寧王の時代、五経博士が代々招かれた。武寧王の息子、聖王は日本に仏教を伝えたといわれている」。近代日本の天皇が初めて百済と日本皇室の関係を認めた発言だった。
この発言によって、3年後にまたいとこに当たる朝香誠彦氏が武寧王陵を訪れた。あえて意味を付与するならば、西暦660年の百済滅亡から1300年ぶりとなる。公州市庁のホームページに請願を載せた人物はこのようにつづった。「この品々が公州市の観光と、歴史性を証明する上でどれほど意味があるものであるか、分かっていらっしゃいますか?」。公州市側は、記者との電話で「警察への捜査依頼はしなかった」と明かした。
朴鍾仁(パク・チョンイン)先任記者
天皇家からの寄贈品も安く見られたものだが
教養や素養がないとそういうことになるんだろな
まあ、今の日本の博物館員も
うっかりで貴重な書物や記録を捨てまくるし
大阪市が地下駐車場に美術品放置するようになったから
他国のことは言えないんだろうが