「ん・・?」
「どうした? ギイ」
気配が、違う
いつも通り、俺と章三はふたりでドゥブロヴニクの建築物見学に出かけていたのだが
買い物を終えて家に近づくにつれ、俺の脳内に警報が鳴り響く
「章三、悪いがこっちの荷物、持ってくれ」
「なにか、あったのか?」
察しのいい章三が買い物の荷物を受け取りながら俺に訊いてくる
万が一のときは連絡が俺にはいるはず。それが無かったのがかえって不気味だ
様子を伺いつつ、庭に足を踏み入れる
家の周囲に仕掛けてある赤外線探知機は、特に変わった様子はない
ということは、どうどうと中に侵入したということか
「義一さま。おさがりを」
「我々が先に」
章三が息をのむほどに、どこからともなくそれは自然に俺の周りに集まってくる男たち
「周辺を探せ。倒れているはずだ」
「わかりました」
俺に付き添っていたセキュリティが配置されていた仲間の安否を確かめに走る
殺されたか。あるいは・・
「義一さま」
呼ばれていくと、争った形跡があり、確かに気を失わされてはいたが命に別状はなさそうだ
「もうしわけ・・」
「家の中は・・」
「おそらくは・・」
くっ
「託生っ」
俺たちの動きを見て、何が起こったのかすぐに判断がついたのだろう章三も、俺のすぐ後についてきた
あちこちのドアを開け、リビングを確かめ、そして・・・
「あ、ギイ。お帰りなさい」
ダイニングキッチンで、ミネラルウォーターをグラスに入れようとしていた託生
「どうしたの? 大声出して。なにかあった?」
託生はきょとんとした顔で、俺と章三をまじまじ
「あ、いや。なんでもない。ただいま、託生」
「うん、お帰りなさい。赤池くんも」
「あ? ああ・・。ただいま」
「わ、今日はまたずいぶんと買い込んできたんだね。ふふ、今夜もご馳走かな」
託生の無邪気な笑顔が章三の抱えている荷物をのぞき込んでいる
ほぅっと託生に気づかれないように、息を吐いた
セキュリティが侵入を阻んだのか? いや、そんなわけはない
あそこまで完璧に全員叩き伏せられていたのだから
なのに、託生は無事。しかも外で何が起こったのか気がつきもしていない
これの意味するところは・・、恫喝
いつでもやれるぞという無言の意図的な圧力、示唆
今になって、こうきたか、オヤジ
どこまで知られた? 俺たちのこと。いや、そんなはずはない。その気配すらない。俺たちは常に連絡を怠らない。乗っ取りもあり得ない
俺の脳には思考を読み取られるようなチップは埋め込まれてはいないはず
それは何度も調べて確かめたから間違いはない
ふ・・と、コーヒーの香りが鼻腔をくすぐる
「ギイ。これでも飲んで少しそっちで休んでいろ。料理は俺がするから」
「章三・・」
「考えることがたくさんあるんだろ」
章三の作為のない思いやりが、かえって俺を冷静にした
「ああ、ありがとう。託生は?」
「水をもって、また練習室にこもったよ。あの部屋、確か窓があるはずだけど」
「そこから見えない場所でやったか、あるいは託生が没頭していてまるで外の異変に気がつかなかったかのどちらかだな」
「葉山ならあり得るな。ともあれ、いまこそ、いつもの沈着冷静なギイでいないとな」
ふっと、俺は笑った
「そんなに動転しているように見えるか?」
「いや、そうじゃないからさ。この襲撃も予測の範囲内ってところか」
「一応、可能性としてはな。だが、ここまでセキュリティが役に立たないとは思わなかったよ」
「相手が悪かったんだろ」
まったく、どこまで読んでいるんだ。章三
「このセキュリティは崎家からの申し出だ。どちらかというとオフクロの配慮。でも、今回の相手はおそらく」
「オヤジさんの方か。Fグループ」
「どちらも訓練校は同じ。だから、相手の出方もわかり切っていたはずなのにここまでやられた。上手を行かれた。よほど周到に準備をしてきたな」
「そりゃあ、二度は通用しない急襲だからな。しかも葉山に気取らせない配慮までした。ギイ、これも、オヤジさんとの交渉ネタか?」
「いや。俺が条件に出したのはただひとつ。俺の絶対の自由だけだ。でも、俺にあのカードを切らせたのはオヤジだ。オヤジが俺を都合よく動かすために託生を利用するという地雷を踏んだからだ。そしてそれは、託生だけじゃない、祠堂関係者全員にも言えることだ」
「なるほど、俺たちに類が及ばないのはそういう背景もあったか」
「託生には一切かかわらないし手も触れない。だが、託生と俺をガードする者たちはその範囲ではないってことだろ」
「ろくでもない論理だな。勝手すぎる」
「契約書や合意書の言葉の隙を縫うようにして相手の懐に入り込んで利益を貪る手合いだからな。初めからまともに立ち向かう気はさらさらなかったけれど。意思を示してきたとなれば、話は別だ」
「ギイ・・」
「章三。悪いが頼んでいいか?」
「夕食づくりか? ああ、これぐらいは」
「その間にちょっとだけ動く」
「わかった」
俺は家の中を章三に頼んで、そのまま外に出る
俺の姿を見て、集まってくるセキュリティガード
「どうする?」
俺の問いは明白。どっちにつくか。ただ、それだけ
崎家のガードとはいえ、Fグループに関わりなしというわけではない。それをわかって利用していたのは俺でもあるのだから、この件に関しては責を問う気はない。ただ、これからのことを知りたいだけ
「雇用主を変更したく存じます」
「へえ・・。ということは?」
「私どもは全員、本日この時をもって崎家との契約を破棄。改めて、崎義一さまご本人と契約したいと願っております」
「俺と直接契約を結ぶということは、何を相手にするかわかってのことだろうな」
「承知しております」
「俺も一度失態して失脚した。だからこそ俺はその轍を踏まないよう、直接には手が出せない程の力を身につけた。それが出来るか」
「身命を賭して」
「では、言葉通りにしてもらう。二度目はない。命がけで俺と託生を守れ。守れなければ死ね」
「At Her Majesty's pleasure」
その言葉を訊いた俺は踵を返した。ふ・・Yes Sirではなく、俺を君主扱いか
まあ、いい。それぐらいの忠誠心はもってもらおう
そして、連中と特殊なラインを繋ぐ
「へえ、ギイの父親って案外短気」
「そうだね。たった2年で動くなんてね」
「何かあったかな。調べてみよう」
「ああ、頼む。いよいよ追いつめられたか?」
「その動きは確かにあるけれど、でも決定的なものではないよ。今、動いた理由に論理性が見つけられないな」
「脅しにしても早いね。僕らがスタンバイできてないとでも思っているのかな」
「軽く見られてるなあ。まあ、実際手を出してないからしかたないけれど」
「動かないからこそあぶりだしたくて仕方ないんだろ。正体がつかめなくて怖いから」
「あはは。幽霊の正体見たり枯れ尾花とか日本では言うんだっけ。そういうので安心したいのかな」
「かもしれないな。これを匂わせたのは俺だけだから。みんなはそれぞれの立場でもひた隠しにしているわけだし」
「別に、もうばれてもいいけどさ」
「うーん。でも、もうちょっとは様子を見たいよね」
「そうだね。ギイが動くつもりの10年後なんて最高のタイミングだし」
「世代交代を考えると絶好のタイミングだよね。掌握しやすくなる」
「やるんだろ、ここまできたらさ。ギイ」
「だな。四の五の言ってはいられなさそうだ」
「全面戦争だね。支援するよ」
「情報が入ったら教えてくれ。俺も調べるけれど」
「まかせて」
これはもう、計画を本格的に始めろってことなんだろうな
今、学校で学んでいる世代。そしてこれから生まれてくる世代。全てがあんたたちの手に負えなくなるぞ
だから、手出しをするなとあれほど言ったのに。オヤジ、オヤジが後生大事に握りしめているもの、全部叩き壊して突き返してやるからな
最後に俺が向かったのはキッチン
章三が真剣な顔で調理に励んでいてくれる
「章三。ちょっといいか」
「ん・・? ああ、火加減を緩めれば」
「モバイル持っていたら電源落としてくれ。今からこの部屋に高周波流すから」
「盗聴妨害か?」
「似たようなものだな」
俺は章三が電源を落とすと同時にスイッチを入れた
「相談がある。これからのことだ」
顔を見ただけで、章三は俺が言いたいことがわかったみたいだけれどな