前記事では「人間や宇宙人は霊的存在であり肉体的存在1」を語った。内容として、「宇宙人が霊的存在であり肉体的存在」という方面が強かったので、今回は人間が霊的存在という話を語ろう。

まず、人間も5次元や4次元が本質で、3次元空間の地球には勉強のために3次元の肉体を持って生まれてきている。その時にはわざと記憶を無くす。意識の次元である高次元の写像が3次元という説とも親和する。

 

ここでネットゲームの知識があると、断然に意味を理解できる。元々、システムの概念自体が、あの世とこの世の模倣なのだ。ネットゲームでは、自分の分身をゲーム内の仮想空間に設置でき、操れる。ゲームによっては、顔や体つきの細かいデザインも可能だ。目鼻口などの基盤や大きさの選択式なので、デザインの知識は無くても大丈夫だ。作られた人物(あるいはメカや動物)をキャラクターと呼ぶ事にする。

 

ゲームの仮想空間では、他のプレイヤーも同じ空間に存在できる。つまり、ゲーム内のキャラクターの正体はパソコンやゲーム機の前にいる人間なのだ。仮想空間内では、あくまでゲーム内で設定された姿になるというわけだ。そして、相手とは会話したり、アイテムの交換をできる。

ここでゲーム内の世界の人が「このゲームを作った人は、このゲームの中にいるわけではない」と叫んだとしよう。現実で言うと「宇宙人は肉体を持っているわけではない」に相当する。しかし、実際にはゲームを作ったクリエーターも、ゲームの世界に入り込む事ができ、その際には一般キャラクターと見分けが付かない場合もあれば、明らかに別格をアピールする場合もある。見分けが付かない場合でも、知っている人だけが見分けが付くようになっていよう。そして、一般キャラクターではできない超越した技を使う事ができる。ここで、別にクリエーターそのものが、ゲーム内に入り込む必要は無い。モニター(ゲームのテストプレイをレポートするアルバイト)という存在がいる。その人達は、見た目はもちろん普通のキャラクターだが、場合によってはクリエーターから有利なアイテムを与えられたりと反則技を使い、一般人よりも有利に進められる。

さて、意味は分かっただろうか? クリエーターというのが宇宙人で、モニターというのが宇宙人から術を授けられた魔導師だ。クリエーターはゲームの空間では、他と同じようなキャラクターにしか見せない事もできるし、扱いが違うキャラクターとして見せる事もできる。

ネットゲームを理解していると、実にスムーズに「人間は別次元が本質」という状況が把握できるのだ。当ブログ読者ならばゲームのプレイ時間は無いにしても、ゲームそのものに凄い内容が埋め込まれている事は認識できているだろう。「ゲームやアニメの企業は、某仏教系のカルトだから偽りばかりで信じるな」みたいな説のブログがあれば、瞬時に却下してもらいたい。

魔導師がゲームを作っている以上、多くの作品では魔道に満ちている物語なのだ。だが、一般のプレイヤーが物語を味わっても、ピンと来るものはないと考えている。術に掛かるように魅了される事はあれど、物語の真髄は理解できないはずだ。

プロアマ以前に芸術・創作ならば、魔道の知識が必要だと筆者は考える。人に面白いとか感動的とか言わせる創造的仕事、そして特に真理を語る小説家やシナリオライターに魔道の知識が無いという状況は欠点の1つになり得る。再放送で見たのだが、魔法使いサリーなんてアニメがあった。内容は覚えていないが、歌で「不思議な力で、夢と笑いを振りまくの」とある。魔法こそが、創作の世界で人の心を動かす核心と言える。

 

ネットゲームについてだが、現実ではうまくいっていない人でも、ゲームの世界ではトップになれる可能性があるのだ。ネットゲームで英雄になる事を馬鹿にしたような内容が、ブログの主張や漫画にも存在する。だが、筆者としては仮想であってもトップを取るならば素晴らしいと解釈する。仮想でも駄目だったら、どうするのやら。まあ、インターネットも含め仮想世界でもトップの人は実は魔法の追求をしている人だったりするわけだが(爆)

現実の人間は確かに3次元空間で生きているが、高次元とは繋がったままだ。ただ、食品添加物、電磁波や教育によって、繋がりを遮断される事になる。多くの赤ん坊は実は頭蓋骨に穴が開いていて、だからこそ驚異的な能力を持っていると筆者は考える。幼児になる頃には、その穴は塞がってしまう。頭蓋骨に穴を開けると赤ん坊のように脳の血流が良くなり、超能力を発揮するという漫画があった。「ホムンクルス」となる

 

本来のホムンクルスは単性の人造生命体だが、今回の漫画では「意識の化け物」みたいな解釈となる。なお、頭蓋に穴を開けるなんてリスクが大き過ぎるので、最もリスクの小さい金箔食を当ブログでは奨めている。ほとんどが金沢や京都で生産される。放射能の心配も小さい。

 

筆者がハタチの頃は、科学者が宇宙人を隠したり、考古学者が超古代文明や異星人の痕跡を隠す理由が分からなかった。学会の体質とか、お金を掴まされて嘘を言うにしては、隠す態度に一貫性がある事が不自然だったのだ。しかし、魔法に繋がると考えれば謎は解ける。自分に才能を授けてくれる宇宙人を隠す事で、それらの仕事に就いていられるというわけだ。もし、大衆も宇宙人から能力を得たら、優越感を得られない。

宇宙人(多次元生命体)には龍や蛇と呼ばれる存在がいる。
異次元での龍蛇は霊的存在だが、三次元で肉体を纏った時には肉体的な龍蛇人になる。同様に人間も霊界では霊的存在で、三次元で肉体を纏った時は人間の姿をしている。

 

当ブログでは、「ドラコニアン(皇帝派) VS レプティリアン(教皇派)」みたいな二元論の図式ではなく、ドラゴン、レプティリアン、ヘビ族連合と、三つ巴が真実だという説を主張している。蛇、蛙、蛞[なめくじ]の三つ巴(三すくみ)と同じ意味だ。ドラゴンボールでも、神様はドラゴンでもありナメクジでもあった。

 

信仰対象は太陽・月・星となり、星とはニビルなのか金星なのかプレアデス(昴)なのか北斗星なのかシリウスなのか、今の所は情報が降臨していない。ちなみに、月のバックには土星がある。ゲーム機にはセガサターンなんて機種があったが、なんとその土星がセガを守護していた時にシェアのトップを獲得している。対抗するのはスーパーファミコンや初代プレイステーションとなる。ここでも三つ巴があった。

筆者はメガドライブ(セガ)を愛好しており、スーファミの方を後に買っている。また、プレステは気に食わず、サターン(セガ)を入手した。結局はプレステもずっと遅れてゲットしたが。

ここからは先日の記事(当記事のパート1)の補足となる。聖書信者による迷妄を語った。

その聖書信者は頻繁に悪魔の話をしているが、既に悪魔とリンクしている事に、当ブログ読者ならば察知できるだろう。本人の弁明だが、「私は生長の家の教徒ではない」とは宣言している。しかし、無宗教ならば「私は**教ではない」という発言はせず、「宗教はやっていない」と語るのだから、怪しい宗教に属している事は間違いない。

聖書では魔法に近づけないような仕組みになっている。魔法は悪魔がやっている事にすれば、見事に核心を逸らせるわけだ。陰謀論の世界でも、なにかと「フリメやイルミが悪い」という事にして、実際にフリメやイルミがなんなのかは誰も知らないというように遠ざけるのだ。

聖書を何十回も読めば直感が冴えるみたいな勘違いもある。世の中には100回読んだ人もいるだろうが、別に能力者にはなっていない。聖書を信仰していると主張しつつ、何かで才能を発揮している人は、クリスチャンカバラとして魔導師になっているからであって、聖書単独によるものではないのだ。カバラの導師によっては弟子が世の中の真の仕組みを把握できるようになる。ただし、聖書では「魔法に近づくな」みたいな記述が多いので、もちろんその手の話が嘘だと導師から教わった後に把握できるエリアなのだが。

能力の発揮に関し、次のような面白いケースもあり得る。クリスチャンカバラの導師によって「弟子には魔法で才能を開花しつつ、聖書を前面に出して魔法については嫌わせたまま」のように指導を受けると、魔法を嫌いつつ、ある程度の才能を発揮する事がある。つまり、キリスト教の仮面を被って魔法を隠しながら、弟子やお客さんを指導するクリスチャンカバラの導師というわけだ。何かの能力開発セミナーで、講師はカバラの魔導師で魔道を語っているのに、受講者はそれが魔法だと気づかず、受講者が起業やスポーツなど、分野で活動的になる状況と全く同じだ。言うならば、受講者本人は既に魔術師だからこそ活動できているのに、魔法の存在を認識できなかったり、魔法を嫌うという魔法に掛けられているというわけだ。

聖書では現代でいう銀行家も嫌うように仕向けている。最も知られたくない部分を嫌わせるわけだ。聖書信者は銀行家になりたいとは思わないはずだ。結果的に銀行の仕組みなどは、ずっと公にならなかった。
ここでお金の知識。日本銀行券、例えば壱万円札というのは、「国はあなたから1万円を借りていますという借用書」なのだ。本来、1万円の価値があるお金を渡しておかねばならないのに、「借りてます」というインクの紙切れを渡されているというわけだ。対して金貨というのは、それその物に価値を持つ。本物のお金なのだ。

 

聖書信者による陰謀論の解決法は聖書だそうだ。ここで、誰もが認識し、一般に出回っている対象が解決法では、支配層は先手を打たれる事になる。支配層が後手に回る状況は矛盾するので、聖書が解決法というのはあり得ない。教会は町を歩けば幾つも見つかるが、魔法結社のテンプルは法律事務所とか、普通の家とかビルなど、全く別の外見に偽装されており、大衆には公開されていないと言える。一応、魔道書なども買う事はできるが、表向きには宣伝されておらず、普通の人は認識できないし、手にできない。

それにしても聖書信者のサイトは悲惨であり道化だ。読者から「聖書なんて……」みたいな否定的話が次々と押し寄せるようだ。いちいち「別の次元の話だ。聖書について知識の無い人は、聖書を否定する説にすぐに騙されてしまう」みたいな言い訳が必要となる。「進化論を否定する人は、進化論について知らないからだ。進化論を否定する説にすぐに騙されてしまう」のように、同じ言い訳と論理のすり替えと言える。当ブログに「カバラなんて支配層によるインチキだから信じられない」なんて意見は全く存在しない(笑) 原則は支配層や仕える者だけに許された奥義だからだ。ちなみに、前世で奥義を取得した場合には、今世で庶民でも接する事ができる。

関連する話を日本や世界や宇宙の動向さんからとなる。先方のブログは(選挙時など)記事によっては恣意的(作為的)な話もある。ベンジャミン・Fカレン・フーデスを紹介した時もガッカリだった。

悪霊と堕天使の違い
一部の堕天使が人間の女たちと関係を持ち子供を作りました。堕天使と人間との間にできた子供たちはネフィリム或いはネフィリーンと呼ばれます。

ネフィリムは巨人でもある。聖書にも登場する。巨人がいるという前提ならば、宇宙人以外にこの巨人は説明できない。
堕天使というのが悪魔的な宇宙人というわけだ。子供を作っている事から肉体的でもある。しかし、天使と付くよう、元は天使だったし、キリスト教によって悪魔扱いされている神様ばかりだ。例えば、男神バールは魔王ベルゼバブやバエルと呼ばれ、女神イシュタルは魔王アスタロートと呼ばれる。

以前は「天使的な宇宙人が各惑星の生命を創造した」みたいな表現もしたが、実質は天使も悪魔も区別は無いという説もある。エネルギーを得る代わりに、三次元世界の出来事を操作するパワーを授けてくれるわけだ。権力を持っている一族に取ってみれば、自分達の思い通りに働いてくれる存在は、聖神以外の何者でもない。聖邪・善悪など立場によって変わる対象に過ぎない。一方では、宇宙人がいるかというテーマは、立場によって変わるものではない。当ブログでは第三の立場であるニュートラルの存在を宣言する。当ブログは聖でも邪でもないニュートラルだ。

エイリアン・アジェンダとは。。。シ●ニストがエイリアンとロシアンルーレットを行っている
人間を支配しているのは人間ではなく、竜、蛇、トカゲ族のエイリアンだということです。エイリアンは神の姿をした悪魔でありルシファー(堕天使)とも言われています。このように、地球は太古の昔に悪魔のエイリアンに乗っ取られてしまい、そのような暗黒の地球に私たちは生まれ変わってきたのです。

魔法を封じられた人と、魔法を認識している人の違いがハッキリ現れると言えよう。