てっきり真矢みきかと思い込んでいたが、調べてみると七瀬あきという名のモデルさんのようだ。 ファブリーズミストラルのCMに出ている「ミサコ」先輩である。


突然後輩が自宅を訪ねてきた際、慌てた彼女が魚の臭いを消すために消臭スプレーをシューっと噴霧するあのCM。放映されてずいぶん経つと思うがいまだよく見かける。メーカーからするとよく出来ているという判断なのだろう。


しかし、自分はあれを見るたびにいつも不快な気分になる。それ以前に、突っ込みどころ満載の問題CMなのだ。


まず、初っ端からおかしい。そもそも、女性の部屋に同じ女性だからといってアポなしで「近くに来たから寄っちゃいました~」と突撃するのはいかがなものか。


社会人として、まあ電話一本くらい入れるのが常識であろう。しかも彼女たちは手土産一つ持っていない。先輩宅に「突然お邪魔」するのに、だ。


自他ともにデリカシーのなさを認める自分ですら、女性の一人暮らしの部屋を訪ねる前には連絡くらいする。ケーキなどあればなお良い。 (そんなシチュエーション、10年くらい経験していないが…。)


しかも、この後輩は部屋に向かうエレベーターの中で「ミサコ先輩んち、すっごくお洒落だから!」なんて勝手にハードルをガン上げしている。


あたかも汚い部屋であることを暗に期待し、連れてきた同僚(?)を幻滅させ、自分側に取り込もうとしているのではないかとさえ感じる。


これは、消臭剤のCMではない。


女同士の醜い覇権争いなのである。


まあそんなことはどうでも良いのだが、一番の問題点はミサコが魚の匂いを“クサイ”と判断し、消臭に腐心したことだ。


いつから日本人は焼き魚をクサイと感じるようになったのであろう?


このCMを見るたびに実家のことを思い出す。


ウチの実家は木造2階建て、田舎の農家であるため部屋も多く、広い。 しかし、おおむね生活の中心となるのは6畳の茶の間であり、老若男女6人がひしめきあって生活していた。


父は当時ヘビースモーカーだったし、オムツの取れない弟もいた。台所からはぬかみそやらなんやら発酵系の食材が強烈な匂いを放つまさに臭気のカオスである。


そんな中で、魚の焼く匂いはトップクラスの「いい匂い」だったと思う。さらに当時魚は炭で焼いていたため、その煙は半端なく家中はおろか周辺地域にまで及ぶ。帰り道の途中でも夕食のメニューが予測できるくらいだった。


郷愁すら漂うそんな匂いをクサイと断罪し、化学薬品を活用して躊躇なく消す。今まさにおいしそうに魚を食べようとしていたくせに。


これに違和感を抱かない者は日本人ではないと思う。


最後に、部屋に入った後輩二人はいきなり深呼吸。


こんな失礼な話はない。


例えば、自分が道行く女性のにおいを突然急接近して嗅ぎ出したら、間違いなく両手が後ろに回る。


このCMは社会的常識の欠如したゆとり教育の被害者と、日本人の心を失った悲しい女性の豪華競演CMなのだ。


因みにほんの少ししか映らないが、ミサコの魚の食べ方はびっくりするくらい下手だ。魚の匂いを消すことに執着する以前に、彼女は箸の使い方を学び直したほうが良いだろう。

昨日は先週の日曜日同様、良い天気に恵まれた。
(“日記”のくせにその日のことを書けないのは遺憾である)

県内では桜の開花が相次いでいる。7分咲き程度まで開いたところもあるようだ。近年、自分がスギ花粉症であることが判明しつつあり、野外に飛び出すことは一瞬躊躇されたが、もともと桜大好きの血が騒いで仕方ない。

わが病院で診ている入院児は4人。全員が時節はずれの胃腸炎でゲロゲロ吐きまくっているが、重症感はない。吐けなくなるほどぐったりしてくるといよいよヤバイのだが、全員回復傾向にある。

まあ、1時間弱で戻ってこれる場所なら問題ないであろう。

こういうときは思い切りが大事だ。

一気に高速を南下する。

思えば、一人で中距離をドライブするのはいつ振りだろう?少なくとも退院してからは無かった気がする。退院直後はハンドルを少し切ることですら創が痛んで出来なかったというのに。人間の回復力は、分かったつもりでいても凄まじい。

天気も良いため、テンションも高い。

1時間ジャストで港町へ。

後で気づいたが、ちょっと飛ばしすぎた。かつては調子に乗って切符を切られたことも1度や2度ではない。高速道での速度超過は下手をすればすぐに赤キップ、罰金刑となってしまう。

日ごろの行いがよかったのか、パトランプに追いかけるられることもなく目的地へ。

潮風が心地よい公園を背景に、山の中腹まで満開に近いソメイヨシノが咲き連なっている。

お祭りが開かれていることは知っていた。

人ごみは余り好きではないし、ここの桜は遠景で眺めるに限る。

到着した後に、カメラなどの撮影ツールを持ち合わせていないことに気がついた。携帯しかない。まあ仕方ない。今日はすべてが思い付きである。こんな気まぐれもいいであろう。

そんなところへ、思わぬところから電話がかかる。病院だ。

嫌な予感はしなかった。

その予感通り、どうやら夕方に市内の病院から肺炎の児の転院をお願いしたいとのこと。

断る理由は無い。

鼻もムズムズしてくる前に、帰路につこう。

滞在時間はわずか20分足らずの花見であった。
先日、初めて東日本大震災の被災者が受診された。

腎疾患で免疫抑制剤を内服中の女児。

福島原発の避難エリアに含まれていて、地震・津波・放射線のトリプルアタックで当方に避難してきたとのこと。

身内もお一人亡くなったようだ。

一瞬、防護服を着て放射線測定装置で測ってからのほうが…とも思ったが、そんなことをしたら「患者様の声」どころか「○○新聞」に投書されてしまいそうなのでやめておいた。

不謹慎な話である。

しかし、一瞬でも頭をよぎったことは事実である。

きっと「風評被害」というのは、もともとはそれほど大きくない一人一人の不安が、情報と伝聞の中で増幅されて蔓延していくものなんだろう。

身近に原発を抱える自分たちも人事ではない。