新たなる希望

面白い映画を教えてもらったので紹介します(あの。手抜きね)
「Born of Hope」(2009)という映画で「ロード・オブ・ザ・リング」のアラゴルンの父親アラソルンが主人公の映画です。
今でもYouTubeで無料で公開されている映画なのですが、実は、素人製作の映画なんです。
正確には、「ロード・オブ・ザ・リング」のファン、アマチュア女優(?失礼)のケイト・マディソンさんが貯金約350万円とカンパ金約240万円(総額約590万円)と400人のボランティアで1年かけて撮った(監督・女優・脚本・デザイン・演出・キャスティング・その他もろもろ兼任)作品です。
本編340億円よりはるかに低予算(そりゃそうだ)ですが、本物と見間違うほど完成度が高いです。
景色はもちろん、服や武器のデザイン、映像や音楽や演出まで本物そっくり(リ、リスペクトです!)
エルフ語、オーク、トロルが出てくるのは圧巻。
本当に公式扱いしたらいいと思う。
指輪ファンなら見て損なしです。
映画本編(日本語字幕)1時間5分(ラスト5分はクレジット)
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□若干ネタバレ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
ケイトさん(違う人になるよ)が演じてたのはギルライン。ではなくエルガレイン(本作には出てこないオリジナルキャラです)
映画は指輪物語追補編の一章「アラゴルンとアルウェンの物語(その一部)」のさらに一部、
「アラドールは王の祖父に…(中略)…賢者たちは知っていたからである」のわずか19行たらずの部分を膨らませたものなので、オリジナルキャラが多めです。
まあ「中つ国の歴史」シリーズを読んでないので、そこに書かれているか知らないんですが。
映画の最後に言っている言葉「オネン イ=エステル エダイン、ウ=ヘビン エステル アニム」
(onen i-estel edain, u-chebin estel anim)は「アラゴルンとアルウェンの物語(その一部)」の中のキーワードで「私はドゥネダインに望みを与えた。私は私自身のために望みを取って置かなかった」という晩年のギルラインの言葉です。
エステル(望み)がエステル(アラゴルン)と掛詞となっている詩(リンノド)です。
ギルラインはアラゴルンの(人間の)未来のために自分の気持ちを抑えて死ぬのです。
アラゴルンにまつわるもう一つの話。
指輪物語の人物の名前は解剖すると意味が分かることが多いのですが(もっともトールキンが与えているのだから当たり前でもある)アラゴルンだけは名前の意味が分からないのです。
それについての面白い説を発見したので載せておきます。
「The Wind in Middle-earth」さん
「エルフ語のページ Adarion」さん
個人的にはアラソルン=アーサー説を推したいですね。
トールキンが書いた理由の大きな部分はイギリスの神話が欲しくてですし十分説得力があると思います。
神話・伝説としては王家の神話で王様が死ぬのはご法度なんですね。
なぜなら、王家の起源神話は支配権を正当化するために存在してるからで、その偉大な王が後継者なくして死んでしまうとなると実質的に英雄神話と同レベに成り下がってしまうんです。
つまり、バイキングとノルマン・コンクエストによってもみ消されたアングロ・サクソン人の物語をケルト神話から続く形でスタートし、”英雄”扱いのアーサー”王”の子孫を隠し子の設定で登場させ、アーサーを文字通り王に仕立て上げて、人類(=イギリス人)に希望(=エステル)を与え、作品自体のモチーフは大陸の物語に似せて、あたかもそれらが傍流であると言わんばかりの物語を”復元”させた。
そう考えると「Born of Hope」のメンバーが円卓の騎士に見えてきたり…