Grande Vittoriaに対する勝手な解釈。 | 地球に生まれなくてよかったー

Grande Vittoriaに対する勝手な解釈。

地球に生まれなくてよかったー-grande vittoria

ザックの挨拶と化している「Grande Vittoria」

最初聞いたときは「どこが大勝利やねん」とカルチョ的発想が気に食わなかったり。

でも、この前、岡ちゃんが言った「修正することなんてないんだろ?」という言葉を受けていろいろと解釈してみる。


「修正することなんてないんだろ?」発言が”テンプレ(でツンデレ)なマスコミ”に対する攻撃のように感じたのは僕だけじゃないかったはず。


勝とうが負けようが必ず聞いてくる「内容・課題・反省点」。

ストイックなのは良いことかもしれないけれど、さすがにテンプレ化しすぎなんじゃ?


また、内容と結果について絶対に言えるのは、二つの軸はx軸とy軸のように次元が違うということ。

両方得る時もあれば、どちらか片方だけの時もあるし、何も得ない時もある。


その観点から「Grande Vittoria」を考えてみると「少なくとも私たちは勝った(結果は得ている)異論は認めない」という解釈もできる。


もうひとつ。

テクニックや戦術の他にもう一つゲームに影響を及ぼす(もしかしたら一番の)要素がメンタリティ。

南ア大会は、今まで以上にチームのムードが勝敗を決めた大会であったように思う。

戦術が語りつくされて選手も理解してきた以上、最後の決め手の一つが監督のマネジメントになる。


”日本が国際舞台で結果が残せない理由の一つは、メンタリティが弱いから”

というのは、本当なのだろうか?

”日本は危なげなく出場するので、激戦区を勝ち抜いた他の地区とはメンタリティが違う”

分かるような分からないような…でもそれって、わざわざウィークポイントにすることないのにと思う。

つまり、負け知らずを上手いこと”勝ち癖”に育て上げれば、それは他はなかなかできないストロングポイントになりうる。

じゃあどうすればいいのか、まあ簡単なことではない。

ここでもう一回最初に戻って、「内容・課題・反省点」に執着するあまり、勝利の事実を忘れてるんじゃないの?と思う。

「内容・課題・反省点」に踏み込む作業の前に、何度も勝利を確認する作業を入れてみるだけでも、価値ある勝利(Grande Vittoria)に気づくことができるんじゃないだろうか。


などと解釈してみると”真面目すぎる日本代表にプラス思考でとらえてみたらと促すような魔法の合言葉”のような気がしてきた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇オマケ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

だいぶ古い話題になりますが、非公式サッカー世界王者というものが存在しまして。

1966年W杯王者イングランドをスコットランドが破った(優勝後の初負け)ときにスコットランド代表ファンが「王者交代」と冗談で言ったのが発祥で、

引き分けでタイトル防衛とみなすルール(タイトルホルダーがW杯に参加すると限らない、大陸を渡ると他の大陸はチャンスがなかなか来ない)で続ける非公式タイトルですが、

スペイン(当時王者)を破ったアルゼンチンに日本が勝利(2010年10月8日)してから今もまだ日本がタイトルホルダーなんです。

一方、女子アメリカ(当時王者)に女子日本が勝利(2011年7月17日)してから今もまだ女子日本がタイトルホルダーなんです。


結果、男女同時に王座を確保した8カ国目の国という快挙も達成してます。


非公式の記録とはいえ、もう少し自信にしてもいい「Grande Vittoria」なのではと思います。