皆様こんにちは😊💖✨✨




梅雨入りしましたねー☔️
雨が降ったら、植物は大変喜んで
ぐんぐん伸びていきますよね。


恵みの雨ですね、私達も人生の中での
四季があって、その時その時の人生の
季節があると思うのです。



それは、一人一人違うと思いますし
皆んなおんなじでは無いと感じますが



晴ればかりでは無くて
必ず雨の降る時期はあると思うの。



嵐になったり、雪が降ったりすること
もありますよねー。



でも、雨が降ることにより、大地が
潤い、乾いた喉が潤っていくと思う
から、全てはある意味完璧で


起きるネガティブな出来事には
必ず素晴らしいカラクリが隠れて
いて、それを自分の内側の本音に
向き合って見つけて行けばそこには



必ずギフトが用意されている。
そんな気がします。



ただ、不幸だと、運が悪いと片付けて
その出来事から気づくチャンスを逃す
のか?



それとも、内側の自分の叡智と繋がる
きっかけにするのでは雲泥の差だと
思うの。



でも、私達には選択の自由があって
いつもいつも、とっても小さなことで
あっても、必ず選択していて



それは、他者に責任転換して、自分を
見ないようにすることも出来る。



見たら辛い事を思い出してしまう。
頭おかしくなってしまうのを恐れていて



自分をコントロール出来なくなる事を
恐れているのかもしれない。



本当の本音に向き合ってしまったら
全てが終わるように感じているのかも
しれない。



そんなこと通用しないとか
そんな非道な行為は出来ないとか



良い人でありたいとか
作られて与えられた自己イメージから
大きくかけ離れることは出来ないと。



だから、本当の本音は見ないで今まで
通りに当たり障りの無いようにやって
いく。


これは、常識的に周りに合わせて
生きることが、今までの歴史上において
よしとされてきた。



バカにされないように
笑われ無いように
頭おかしい人にならないように


大昔だったら、確実に村八分にあって
死に直結していた頃の恐怖心が
細胞レベルにまで浸透している
はぶられる恐怖。


全ての人々からの一気に集結してくる
念のエネルギーなど



私達は見えないエネルギーレベルでの
そう言う事を細胞レベルで恐れている。



その、一旦刷り込まれた、洗脳を超えて
自分を雁字搦めにしてしまう自動反応を


手放し、本来の自分の叡智と繋がる
ために、問題を引き寄せていたりもする


そんな大変な状況の出来事くらい
無かったら、私達は動けないのだろう。



一度刷り込まれた洗脳を解くには
それが必要なのかも知れない。



私達は、生存本能で、危険から逃げる
ように出来ている



その本能を超えて進化することを
選択して、成長することが



状況突破の鍵に🔑なるのかも知れない
ですね。



後退は、死に直結する。
前に進むしか無いとしたら・・




何とか執着して、内側に向き合わずに
そのままの今の常識に閉じ込められた
意識のままで強行突破するのはは難しいと
思わずにはいられない。



私達の本質は愛なので、人を傷つけ
蹴落として自分だけが生き残る
サバイバルモードでやり抜こうと


することは、知性的では無いと思うし
今の自分の想像を超えたところに光は
ある。


一番に頼りになるのは、自分自身の
叡智だから、サバイバルを抜けて
調和の世界に進むのならば


自分と繋がるしか無いし
それが一番安全だと思うの。


自分の中のカーナビを作動してみると
あなたが見えてくる


あーそうだったのねって
私ってこういう人だったんだと
嘘ついてたのも分かる



今まで、思っていた自己イメージとは
違ってくると感じていてね


ああ、そうなんだねこっちの方向に進めば
良いんだねと、私の魂はこれが好きで


こういう事に惹かれて
こういう時に満たされて
導かれる方向へと進むときに
その、一瞬一瞬に喜びを感じて
楽しいんだなぁって


自分への理解や優しさが深まって
愛しさが内側から湧いてくる。


もう、外側に振り回される必要は
無くて、でも外側と戦う必要も
無くて、全部が自分と思うと


沢山の教師が私の周りにはいる。
もう既に、いつもいつも見守られて
いて、愛されていて与えられている
そんなことを感じているし


見せてくれている。
自分を信じて、そのまま進む。


それで、良いんだね。



これを書いていて思い出した和尚の
カードこれが頭に浮かんできたので
皆様にもシェアさせて頂きます。


こちら
↓↓↓
弟子である事




あなたの生のあらゆる状況があなたに
教えてくれるのを許しましょう。

スーフィーの偉大な神秘家、ハサーンが死のうとしていた時ある人が尋ねた「ハサーンあなたのマスターは誰だったのですか?」彼は言った「彼は言った私には何千人ものマスターがいた、彼らの名前をあげるだけでも何ヶ月何年もかかるだろう、それにそうするにはもう遅すぎる。だが3人のマスターについてははっきりと話しておこう。


一人は泥棒だった、ある時私は砂漠で道に迷ったそして、ある村に着いた頃には夜も非常に更けていた。全てが閉ざされていた。だが最後になって
私は家の壁に穴を開けようとしている一人の男を見つけた。



私は彼に何処か泊まる所は無いかと尋ねた、彼は言った「夜もこんな時間では難しいだろう、だが私と一緒で良ければ泊まれるー君が泥棒と一緒に泊まれればの話しだが」



ところがその男はひじょうに素晴らしかったー私は一か月も滞在した!そして夜ごと彼は私に言ったものだ。



「さて私は仕事に行ってくる、君はゆっくり休んで祈っていてくれたまえ」彼が帰って来ると私は尋ねたものだ「何か取れたかい?」彼は良くこう言った「今夜は駄目だった、だが明日またやってみる、神が許してくれればね・・・」彼はけっして絶望しなかった、いつでも幸せだったのだ。



何年も絶えること無く瞑想して、さらに瞑想し続けていたにもかかわらず、何も起こっていなかったとき、もう自分ではどうしようも無くて、絶望の淵にありこのナンセンスを全てやめにしようと思う瞬間が何回となくやってきた。



すると突然、私はその泥棒のことを思い出したものだ。彼は夜ごとこう言っていた。「神が許してくれれば明日には起こるだろう」



そして私の二番目のマスターは犬だった。私は河へ行く所だった。喉が渇いていたのだ。すると犬がやってきた。彼も喉が渇いていた。



彼は河の中をのぞきこみ、そこにもう一匹の犬ー自分自身の影ーを見て怖くなった。彼は吠えると逃げて行った。



だがあまりにも喉が渇いていたために、彼は戻ってきた。ついに自分の恐れにもかまわずに、彼は水の中に飛び込んだ。すると影が消えた。



そして私は、神からメッセージが来たのを知った。ーあらゆる恐れにもかかわらず人はジャンプしなければならないと。


そして三番目のマスターは幼い子供だった。私がある町に入っていくと、子供が火のついた蝋燭を運んでいた、彼はモスクに蝋燭を置きに行く途中だった。



「ちょとからかうつもりで私はその少年にたずねた、「自分でその蝋燭に火をつけたのかい?」彼は言った「そうですおじさん」そこで私はたずねた。「その蝋燭に火の付いて無い瞬間があって、その蝋燭に火の付いている瞬間があったーその火がやってきた源を見せてくれないか?」



すると少年は笑って蝋燭を吹き消し、こう言った「いま、火が消えるのを見たでしょう?それはどこに行ったのでしょうか?言ってください!」私のエゴはこなごなになった。
 


そしてその瞬間に私は自分の愚かさを感じた。それ以来私は自分の知りたがりをすべて落とした」



私にマスターがいなかったのは事実だ。それは私が弟子では無かったと言う意味では無い。ー私は全存在を自分のマスターとして受け容れた。私の弟子としての有り様は、あなたのそれよりももっと大きなかかわりだった。



私は雲を、樹を信頼した・・・私は存在そのものを信頼した。私にはマスターがいなかった。私には何百万ものマスターが居たからだ。私はありうる全ての源から学んだ。



道において、弟子であることは絶対に必要なことだ。弟子であるとはどういう意味だろう?それは学ぶことができるということ。



学ぶべくそこにいる、ということ、存在に対して感じやすいということだ。



マスターと共にあなたはどう学ぶかを学び始める・・・少しずつ、少しずつ、あなたは調子が合ってくる。




そして少しずつ、少しずつ、同じように全存在と調子を合わすことのできる、そのポイントが見えてくる。



マスターはスイミングプールだ。



そこであなたは泳ぎ方を学ぶことができる。



一度学んだら全ての大洋があなたのものだ。





✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨




今日も素敵な一日が始まりましたね。
楽しんでいきましょう照れドキドキラブラブ音譜




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