神をも現す | いい気分でいよう

いい気分でいよう

いい気分は、いい気分を連れて来る
いい気分でいるために、いい気分になりましょう

『いい気分はすべてを凌駕する』

神宮の前を通るたび

 

 

わたし)「こんちぁー、いつもありがとねー」

 

神々)「おぉー、またいつでもおいでー」

 

 

みたいな会話をしています。

 

 

 

 

 

”神は友”

 

 

このスタンスに立てているいま

軽やかでとてもパワフルでいられます。

 

 

 

かつてのわたしは

 

朝晩、神棚に手を合わせ

神社にも熱心に足を運び

作法を重んじ

祝詞を奏上し

心の中にいつも”神”の存在を置き


感謝、感謝、感謝、反省、感謝...

感謝、感謝、感謝、願い、感謝...

感謝、感謝、感謝、祈り、感謝...

感謝、感謝、感謝、誓い、感謝...

 

みたいに

いつも感謝していました。

 

 

 

その根底にあったのは

 

 

”神” は圧倒的な存在

”人間” は小さくか弱い存在

 

”神” は絶対的で完璧な存在

”人間” は不確かで間違える存在

 

 

という

当時のわたしの観念、世界観。

 

 

 

 

 

だから

その圧倒的な ”神” という存在に

 

助けてもらいたい

引き上げてもらいたい

認めてもらいたい

好かれたい

贔屓(ひいき)にしてもらいたい

 

という思いで、信じ仰いでいたのです。

 

 

そうして得ていた感覚は

 

わたしはいつだって神様に護られている!

 

という

おまじない のような安心感でした。

 

 

圧倒的な存在に対して

すがるように信じ仰ぐ在り方は

いつも

 

失礼のないように

不敬をしないように

戒め(いましめ)られないように

嫌われないように

見放されないように

 

といった

 

畏れ(おそれ)

 

の感情が背中合わせだったのです。

 

 

敬愛しながらも

ビクビクしている状態でした。

 

 

こういう世界に身を置いていたから

当時のわたしの世界には

 

”戒め” や ”バチ”

 

も存在していたし

そういう体験が、現実として現れてもいました。

(まぁ自分で現していたんですどねー🤣)

 

 

 

でもいまは

 

 

わたしがすべてを現しているんだから

いつだって大丈夫!

 

 

という

絶対的な安心感 の中に存在しています。

 

 

 

わたしが創り

わたしが現す世界によって

わたしが苦しめられることはない

 

 

 

いつだって

自分仕様に創り出せるのだから。

 

 

 

 

 

 

揺るぎようのない信頼

 

 

を手に入れることができたのです。

(地道な抵抗外しで得た宝物のひとつです)

 

 

 

”神が護ってくれるから”

 

じゃなく

 

”神をもわたしが創造しているから”

 

 

 

一人一人に一つの世界があり

一人一人に一つの宇宙があります。

 

 

わたしの世界の神々は

こんなわたしを大好きで

いつも優しく、温かく、力強く

愛し、護り、応援してくれます。

 

たくさんの見えない存在が

わたしの世界を

わたしの人生を

いつでもMAXで応援してくれます。

 

 

 

という世界を

 

 

わたしは創り、現し、体験しています。

 

 

 

「すべてであるもの」にとってあなたがたは非常に大きな価値があるという理解、そこにあなたがたが立ち戻ること、それがわたしたちの願いだ。

あなたがたは真に思考の「最先端」にあって、すべての思考、言葉、行為を「宇宙」に付け加えているのだから、「すべてであるもの」にとってあなたがたは大きな価値がある。

あなたがたは遠くから追いつこうとしている劣った「存在」ではなく、「宇宙」のあらゆる資源(リソース)を思うままに使える「最先端」の創造者だ。

(「引き寄せの法則・エイブラハムとの対話」P54より)