サラリーマン時代のわたしにとって、”仕事”は、生きるうえでの優先上位事項のひとつだった。
わたしは仕事に厳しかった。
役割上、厳しくせずにはいられなかった。
わたしは完全に、会社での”役職”と自分を同一化していたからだ。
言いたくないことでも、”役職”という仮面をつけていれば、おおよそどんなことでも言えた。
時に厳しく要求もした。
要求に応えられない部下や同僚を、
「やる気がない」「本気さが足りない」「誠意が足りない」などと言って批判することもあった。
わたし自身の中で、仕事(=収入)があることが、幸福な人生の重要な基盤だという考えが強かった。
この仕事のおかげで、給料を受け取り、生活でき、子を育て、余暇を楽しめているのに、「何故その仕事を最優先にできないのか?何ものをも犠牲にしてでもがんばる姿勢を示せないのか?!」と周りにも求めていた。
あのときの厳しさは、自分にも向けていた。
実際わたしは、どんなことよりも仕事を優先していた。
時間や順序のやりくりはすれど、最終的には休日を犠牲にしてでも仕事を優先させた。
給料を受け取れるおかげで生活できているのだから
雇用されているから安心して生活できているのだから
役職と信用を受けてこの収入を受け取れているのだから
だから、
それ以外の犠牲などいたしかたないことだ
何を置いても、仕事を最優先にするんだ
会社で信用を損ねたら、わたしの価値は暴落だ
とにかく、仕事ができること以上に、重要なことなどない
そう頭の中の声が、常に囁きつづけていた。
それもそのはず。
わたしは、会社の”役職”とわたし自身を同一化していたのだから。
もちろん、同一化していたときは、それがエゴの声だったとは気づきもしなかった。
わたし自身の本心だと信じていた。
というより、そんな区別すらなく、何の疑いようもなく、自分自身の信念として根付いていた。
そんなわたしが、自分の同一化の対象だった役職も社員としての身分も手放して、会社を辞める決意をした。
やっぱり毎日が辛かった。
心からの望みなどとうに浮かばなくなっていた。
円満に定年退職して、早くガミガミ言わなくていい生活をしたい
何が起きても「いいよ、いいよ」と言っているおじいさんになりたい
早く70代になりたい
そして早く人生を全うしたい
本気でそう思っていた。
旅行に行きたいとか、何か夢中になれる趣味を見つけたいとか、そんな気力すら湧かなかった。
ただ、平穏に、静かに暮らしたい、とだけ思っていた。
働き盛りの40代中盤でこの状態とは、甚だ危機的だったと回想する。
ところがある日、
雷に打たれたように
「仕事を変えよう!会社を辞めればもっと楽しい人生が始まる!」
と確信めいた衝動がハートを揺さぶった。
今までに味わったことのない、抑えきれない衝動だった。
こうして人生の”大反転”がスタートした。
この瞬間が、わたしの人生のターニングポイントとなった。