書き起こしのどこかの前段階の話なのですが、こっちも書き起こしてみようと思ったので。



エイブラハムの「神様とか魂の視点」と「人間の視点」、私たちは2つ持っているという話からの流れです。




神様とか魂の視点は人間の自分をどういう視点で観ているかというと


いつも高い評価なんですね


いつも、常に、何をしてても


高い評価しかない




わかりますか?



たとえば、



何かをしくじってしまった、何かをミスってしまった、誰かに何かを言ってしまった、


あーーーーーーーー↴ってなってるときですら



あなたは良くやってるよって評価ってことですよ



で、常にその、常にその見方をされているんですよ



その神様の意識というのは、その魂の意識というのは



常に自分に対して



高い評価しかしてない



っていう視点しか持ってないんです。



否定の意識が一切、微塵もないんですよ



で、ネガティブな感情が生まれるのは


神様の意識とズレたときです。



感情が湧くんですね、ネガティブな



ようは何かっていうと視点がズレましたよっていうことです。



魂の視点神様の視点からあなたのその思考



ちょっとズレてますよ・・・・・イコール、あんたそれ真実じゃないよ



ミスしてダメな存在なんだと思うことは神様とか魂の自分である本当の視点からは


ズ・・・・レ・・・・てますよね?



ズレるから



私はダメなんだ


私はミスしてしまったから価値がないんだって



そういう思考になったときに、ものすごいネガティブな感情が湧くはずなんですよ


それは何かというと魂の視点との意識のズレが感情という警告で


その思考というのは間違ってますよ、真実じゃないですよと教えてくれてるわけですね。



なるほどと。



で、



今まで私はこう思ってたんですね


自分を否定したりとか罪悪感という罪の意識を感じていれば


誰かを幸せにできると思ってたんですよ・・・・・・・・・・・・



謎に。



何かミスをしてしまったときに、自分が


自分が罪の意識、あぁ~申し訳ないやってしまったって反省して自分のことを責めれば責めるほど

相手のことを幸せにできると思ってたんですね



そしたら、このエイブラハムの理論でいくと



その魂とか神様の意識そのもので



生きている人というのは



もう何百万人の救いの手になるって書いてあったんですよ




マジか。。。。。みたいな。。。。。



それほんとかどうかやってみよって思ってやりはじめたんですけれど。



それまでは


私が自分を否定すれば否定するほど、罪悪感を感じれば感じるほど、そのエネルギーが電波してだんだんだんだん強力になって人を不幸に巻き込んでたと。



誰もよくなってなかったんだって気付いたときに



あ、公害だからやめようと思ったんです。




自己否定は公害だと。



罪悪感を感じるのも公害だからやーめよ



ほんっとにただシンプルにこう思ったんですよ。



誰のためにもならないもん。



誰かが幸せになるんだったら、結構自己犠牲の精神、日本人強いから・・・・・


結構楽じゃないですか、自分が犠牲になって相手に幸せになってもらったほうが



なんか気が楽というか・・・・・・・・・・



ぜんぜん逆ですよ



あなたが罪の意識感じれば感じるほど誰かが不幸になっている、一人一人。



やめていただきたいって感じです。



公害です、だから。



だから、ロジカルにこう考えたんですよ。



自己否定が入った、あ、また罪悪感がでた。



っていうのは別に問題ない



いつもの癖だから。



でも、あ、高い評価をする本当の神様の意識、魂の意識の視点と



またズレてるぞ、と。



あ、今どうゆう評価かなって



いやあんたがミスってしまったことしょうがないよ


問題ない問題ない



っていうと思うんですよ。



頭の中で結構ずーっとこれ、私。



ってやってたら自己否定が一切ないですよ。



これ天然でできる人もいるんですね。笑)(ラブハさんのこと)