私は、自分のモラハラ、フキハラが原因で、妻から捨てられ、離婚され、家族を失ってしまった元モラ夫です。
私は、
「すぐ怒る」
「嫉妬深い」
など、まさに煩悩の塊のような人間でした。
そんな私に連れ添って妻は、本当に大変だったと思います。
仏教には、「唯識」という、人間の深層心理を分析・体系化した教科書のようなお経があります。
その唯識では
怒りは「瞋(しん)」
妬みは「嫉(しつ)」
という煩悩として説明されています。
仏教は、そうした煩悩だけでなく、人間の心にある善の心も、しっかり説明してくれています。
善の心の一つに
「信(しん)」
があり、これは、「まごころや、真面目さ」の意味です。
私は、私と同じように、自分のDVやモラハラが原因で離婚や別居になってしまった方々と一緒に勉強会を開催しており、最近の勉強会で、この善の心「信」について説明をしました。
すると、受講者の方から次のような質問をもらいました。
「善の心である信は、自分にとって真心で、真面目であればよいのでしょうか?
相手にとっても真心として良いものである必要があるのでしょうか?」
この方は、ご自身のDVが原因で別居中で、別居前に、良かれと思って
子供に習い事を勧めたり
家族旅行を綿密に計画し実行
ということをされていたそうなのですが、今になって思えば、本当に良いことだったのだろうか?と悩んでおられました。
皆さんは、どのように思われますでしょうか?
次号に続けます。