令和元年台風19号の被災地、長野への視察の活動報告! | 金沢大学ボラさぽの基地

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こんにちは!ボラさぽ2年の山﨑響子です。

今回は10月31日に行った長野市への視察の活動報告をさせていただきます。

 

2019年10月、台風19号により長野は各地に甚大な被害を受けました。

私たちボラさぽは去年の11月と12月に合計3回、長野への災害ボランティア派遣を行いましたが、新型コロナウイルスの流行に伴い、それ以降派遣を行うことはできませんでした。

そのため今回の視察は、災害から1年経った現地の様子を直接目で見ること、今後の活動のため現地の方々と顔の見える関係を作ることを目的として行いました。

 

今回の視察でお世話になったのは、「まちの縁側ぬくぬく亭」春原さん、「被災地を写真でつなぐ実行委員会」須磨さんです。

 

「まちの縁側ぬくぬく亭」春原さんは去年の派遣でお世話になったボランティア団体「N-FiRST」のリーダーも務めている方です。

長野市豊野町にある「ぬくぬく亭」には現在4人の職員とボランティアの方々が常駐しています。そのメンバーで豊野各地の住宅訪問、ボランティア活動、「ぬくぬく亭」での勤務を分担しています。

訪問活動では、住民一人一人とのコミュニケーションを通して信頼関係を築いています。その交流の中で、住民から頼まれた様々なボランティアを引き受けています。家屋の清掃や泥だし、釘抜き、草刈り、リフォーム、引っ越し作業など活動は多岐に渡ります。

さらに「ぬくぬく亭」ではお茶会やフットマッサージ、弁護士相談会を行っています。職員が常駐しているため、住民が気軽に立ち寄ることができるそうです。私たちが3時間ほど滞在していた間も住民の方々が入れ替わり立ち替わりやってきて、談笑したりおかずを交換したりしていました。

この日はとても爽やかな秋晴れで、「ぬくぬく亭」には陽射しが差し込み、心も体も温まるような雰囲気でした。

 

 

春原さんはなぜ住宅の清掃を業者に依頼しないのかとよく尋ねられるそうです。もちろん家が浸水し家財道具を失った被災者にとって、ボランティアに依頼する方が経済的な負担が少ないという理由もあります。

しかし一番の理由は、最初から最後まで被災者に寄り添うことができるからだそうです。清掃業者に依頼した場合、作業が終われば関係はそこで終わります。「ぬくぬく亭」の職員は被災者の心の傷に寄り添い、それぞれの希望に合わせて支援を行っています。住宅再建を希望する方の家を清掃し、修復し、リフォームをし、仮設住宅から建て直した家へ最後に荷物を運び込むときには深い喜びがあると春原さんはおっしゃっていました。

最後まで寄り添う、ずっと変わらずそこにいるという想いが住民の方々に伝わり、今の信頼関係が出来上がったのだと思います。

 

 

「被災地を写真でつなぐ実行委員会」の須磨さんとは今回の視察で初めてお会いしました。

この団体は2017年の九州北部豪雨の風化を防ぐとともに、防災研修、写真展、災害救援活動を行っています。

長野支部では「信州ベース」という団体として、写真洗浄や学習支援などの活動を行っています。台風第19号では豊野中学校も被災し、学生たちは近隣の中学校に移動せざるをえない状況でした。そのため「信州ベース」では受験を控えている中学生への学習支援を「ぬくぬく亭」や空き教室で行っていたそうです。

 

また須磨さんは学生の災害ボランティアのネットワーク構築にも取り組まれています。

大学生は比較的時間の余裕があり災害ボランティアに参加しやすいものの、就職を機に時間のゆとりを失ったり引っ越しにより地域との繋がりを失ったりして、災害ボランティアに参加できなくなってしまう人が多いのが現状です。

そのような災害ボランティア離れを防ぐため、全国的なネットワークを通じて卒業後も参加しやすくなるような環境づくりを目指しているそうです。

 

その後お2人に長沼、穗保、津野、赤沼など被災した場所を案内してもらいました。

堤防の決壊地点のすぐそばにある長沼体育館は未だ手が付けられておらず、瓦礫が散乱し雑草が伸びたままでした。体育館の時計は、一年前に見た時と同じ4時55分を指していました。

一年前、私は浸水した畑でりんごの撤去作業をしました。当時、畑は泥で薄茶色になり、りんごは地面に落ちて腐りかけていました。そのような光景を見ていたので、りんご畑が蘇るのには何年もかかると思い込んでいましたが、実際に訪れると畑は青々とし、真っ赤で瑞々しいりんごが沢山実をつけていました。

 

 

 

また須磨さんの紹介で小布施町の浄光寺近くにあるnuovoを見学しました。nuovoは「日本笑顔プロジェクト」が運営するライフアミューズメントパークで、台風19号の災害救援活動から生まれました。

台風19号によってりんごなどの果樹は根元が泥で覆われ酸欠状態となり、一刻も早く取り除かなければ木ごと枯れてしまう恐れがありました。そのため自衛隊や行政の救援が到着する前に、地元の方々やボランティアが重機で作業に取り掛からなければなりませんでした。

その経験をふまえ、「日本笑顔プロジェクト」では免許習得への敷居を取り払い、より多くの重機オペレーター育成を目指しています。nuovoでの二日間の重機講習に合格し「修了証」をもらうと、即戦力として災害現場で活躍することができます。

男性に比べ力がない女性こそ重機を使うべきというお話が新鮮でした。

 

 

今回の視察で私の心に強く残ったのは、災害救援も復興も防災も全て、この地でともに生きることに繋がっているということです。

 

「ぬくぬく亭」は豊野の病院である賛育会によって作られたもので、春原さんもその職員です。一年前、病院も同じく浸水しました。自分たちも被災しているにも関わらず、病院は職員の方々を病院の復旧作業に当たる人と町の復興に取り組む人に分けたそうです。

これは町が復興しなければ病院の復興もありえないという考えに基づいています。

 

被災した地元の方々の中には、豊野に残りたいと願い、再び浸水するかもしれないことを覚悟のうえで多額の費用をかけて家を建て直した人もいます。

地元の方々はお互いに助け合い、真剣に町の復興と向き合い、再び同じことを繰り返さないよう努力していました。その姿を垣間見て、たとえ災害が再び起こるかもしれない地域であっても、理屈や災害への恐怖を超えてその土地と人は分かち難く結びついているのだと感じました。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。