風船爆弾基地(4):コスキン エン ハポン
終戦末期,風船爆弾の報復によって風船爆弾基地近くの化学工場が爆撃されました。
その工場は現在の呉羽化学(台所用品のクレラップを作っている)でした。平成の終わり頃,会社の退職者が集まってケーナの同好会を作り,町の公民館で月2回の練習と年1回の発表会をしていました。指導は佐藤(鐡夫)先生でした。先生は地元では尺八の先生でもあり,また箏のグループとコラボして発表会を開いています。とても忙しい方なのです。
私はJICAのシニアボランティアの派遣先(ボリビア)で,ケーナを勉強しようとしました。が,彼の地はケーナとは縁がないスペイン・セビリヤ地方からの移民の県で,誰も教えてくれませんでした。かえってギターを覚えろと言われる始末でした。帰国後,隣町(旧勿来市)の芸能サークルにケーナの同好会があったので,見学を希望しました。先生の吹くケーナの音がとても大きく鋭いことに驚きました。ただ者ではない感じを受けたのです。 その時の練習曲がボリビアの「ガダルキビール」という川の曲でした。私はその川の河畔の町で,2年間過ごしていたのです。演奏の他ケーナにまつわる先生の話がまた面白いものでした。俄然興味を持ち,即入会を希望しました。
先生は福島県郡山市出身でした。男兄弟ばかりで,先生は双子の弟だったそう。高校生まではかなりの悪で突っ張っていたそう。旧国道4号の近所に神社とお寺があり,双子の兄は神社,先生はお寺の養子の話があったそうですが,長じて兄はケーナ奏者,弟は婿養子に入り,サラリーマン(呉羽化学社員)の道を選びました。悪が高じてあれだけ暴れたが首にされなかった。今思うと呉羽は素晴らしい会社だったと話していました。
佐藤先生は左端,私は右から2人目
展示販売に参加してくれた大木岩夫先生(右端)
大木作の焼印の入る G管(左)と F管(右),とても吹きやすいケーナです。
Youtubeで「大木岩夫」で検索するとお兄さんが出てきますので,検索してみて下さい。日本のウニャ・ラモスといわれた人で,ケーナ製作もしています。弟は会社でケーナを演奏と軽音楽の指導をしていました。勿論ケーナについては双子の兄に負けまいとして技術向上を図り,同じくらいの力量を持っています。先生はよくこの兄さんを引き合いに出し,早く産まれただけなのに威張ってばかりと悪く言うのです。そうはいっても,後年体を壊した独身の兄さんを引き取って,面倒をみているそういう弟なのです。軽音楽では私の家の隣人夫婦とも付き合っていました。
同好会の会員は,労組関係の先生,ボイラー係のリーダー,事務系の方,研究員の方,果ては社員食堂係の女性もいました。勿論,退職者達なのでいずれも「老」がつく人達ですが,彼等はそれぞれ日本各地から大企業の呉羽化学に集まってきた人達なのです。彼等同士の私的な付き合いはなく,共通の話題は会社情報だけでした。
私は中央で吹いています。
ある時ただ練習だけの集合では味気ないので,先生と一緒に居酒屋に行こうということになりました。そこで知ったのは地元出身者は私だけでした。そして先生が仕事の上で攻撃するのは私の先輩達でした。酒の勢いもあって,練習の成果を福島県川俣市の「コスキン」で発表しようとなりました。「コスキン」はケーナの全国大会です。優勝者は日本代表としてアルゼンチンコスキン市で演奏する栄誉が与えられるのです。先生から,ポスター作りは,出来るだけ盛ったキャッチコピーにして,私が作れとのご下命が下った。先生はいつも強気で上昇志向の方なのです。だから私は写真のようなポスターを作り,皆の意見を聞きました。しかし,余りにあまりだったので,皆は尻込みしてしまったようでした。。
そういう愉快で真面目な同好会だったのですが,先生の指導する会が増え,時間的体力的に手に負えなくなって,会を止めることになりました。
会員の技術向上を切に望む誠実な先生の希望,ケーナ練習は惚け防止と考えている会員のギャップに失望したのが本音だったと思う。
おわり



