横利根閘門と小見川閘門

                     公園内の案内図

 私は木曽三川公園にある仙台平閘門の物語から,「閘門(ロック)」という通船施設に深い興味を覚えました。以後,日本最古の運河「見沼通船堀」(さいたま市),琵琶湖疏水の閘門や伏見湊閘門(京都府),荒川運河(小名木閘門,東京都),江戸川閘門(千葉県関宿)の訪問記を本ブログに載せました。そして,外国にも足を延ばし,パナマ運河の3閘門,ナミュール閘門・ブルージュ閘門(ベルギー),バーゼル閘門(スイス),ストラスブールの閘門群(フランス),ハイゼルベルグ閘門・マイン川の閘門群・ドナウ川の閘門群,ドイツ最古のドナウ・マイン運河,アムステルダム・ロッテルダムの閘門群(オランダ)を現地に訪ねました。
 今回は,利根川にある横利根閘門と小見川閘門です。

横利根閘門:1914年(大正3年)着工,1921年(大正10年)完成
横利根水門:1968年(昭和43年)着工,1971年(昭和46年)完成
船運:完成前1914年(大正3年)年間6.1915隻(269隻/日)
   完成後1935年(昭和)10年頃迄年間5万隻の通行

 

     

        下利根川の陸地化と輪中群(文献①)

 千葉県佐原市と小見川町には,利根川(旧下利根川)と常陸利根川(旧北利根川)に挟まれた不等辺三角形の輪中(新島)があります。ここは,縄文時代の古鬼怒川で,古代には香取海,流海(ナガレウミ),流逆海(ナサカウミ)と呼ばれていました。図の点の流域で,南北9㎞,東西40㎞の範囲で,銚子口で海に開いた湾でした。

 

    新しくできた横利根川と干拓地「十六島新田」(文献①)

    佐原新掘割川の拡幅により,利根川が銚子迄直通に流れるようになる。


 それが,1654年(承応3年)の利根川東遷工事後,旧利根川流域(上利根川)分が合流前の下流の区間(下利根川)に流れ込み,流域は陸地化しました。これらの土地は後干拓され,手賀沼新田,布鎌新田,埜原新田,新島の一連の輪中(水害から守るため陸地の縁を堤防で囲った土地)が出来ました。上新島の場合,干拓工事は,上之島(カミノシマ)から始まり,続いて西代から北方,東方に拡大し,16の新田(十六島新田)と呼ばれました。十六島新田は海抜1~1.5mの三角州なので満潮時には流逆海(霞ヶ浦・北浦の出口の湖)の水位が上昇するため住宅地と畑は更に盛り土し,この周囲に堤を廻し水を防いでいました。水に浸かるところは水田に利用していました。現在の地図でも,集落地の小字名で十六島新田の八筋川,長島,六角,扇島等の集落をみることが出来ます。
 享保年間(1716~1735)になると,下利根川の下流の川が狭隘なため,洪水が新島を上下の新島の間に流れ込む横利根川が出来ました。そして(霞ヶ浦から流れ出る)潮来の牛堀川(当時の北利根川,現在の常陸利根川)に合流したのです。さらにその下流は東流し,屋流川と十三枚川に分流して,外浪逆浦(ソトナサカウラ)に注ぐことになりました。当然,横利根川の出口が霞ヶ浦からの流れに遮られので,一帯は洪水の頻発地帯になりました。そこで,元々の下利根川の下流狭隘部(佐原新堀割割川)と(横利根川中間部に)長島新掘割川を開削し,放流路としました。これが当たり,現在は下利根川の水量は直流化して銚子で流下するようになりました。一方,それまで船運で使用していた横利根川に不都合が出たため,ここに運河(閘門)を考えたわけです。元々霞ヶ浦や印旛沼は洪水時に遊水池の役割を果たしていたのですが,閘門建設の目的を利根川と霞ヶ浦を分断し,増水時にも船運に支障をきたさないようにしました。

 

      建設当時の横利根閘門(公園内の資料)

 

       横利根水門(横利根閘門は水門の向こう側にある)

       輪中の堤防に囲まれている。

 

              公園の案内図

       水門から望む横利根閘門と船溜まり(手前)

 

     

 

    

 

 

閘門建設は,当初横利根川の入口に横利根閘門が造られ,現在は牛堀川側にもその後新横利根閘門が造られました。一方,北浦からの水運のためには小見川閘門が作られました。改修以前の利根川流路をみると,利根川は小見川町に入るような小湾になっており,(利根川右岸の)最も外側の岬に造られたことが分かります。

 

    

        小見川湾と小貝川閘門(文献①)

 

    

            小見川閘門


  横利根閘門が老朽化したこと,さらに昭和22年による利根川の計画高水位の見直し(計画高水位上昇)したことから,閘門の利根川側に新しい水門建設が行われました。利根川の洪水時による逆流防止機能は水門が受け持ち,閘門は船の通行の際の水位調節のみとすることになりました。 
                                                          おわり

 

主な資料① 金井忠夫(1999):利根川の歴史 第二版., 日本図書刊行会.
  資料②:Wikipedia