こんにちは。

 

今日は、日本とC鮮(南北C鮮)との問題について切り込んでみます。学校でも教えませんし、テレビや新聞でも全く真実に触れてくれないので、知らない人は意外と多いと思います。

主に動画のお話を元に記事を書いています。上手くまとめる文章力が無いので口語体になったり、箇条書きっぽくなったり、文章に一貫性がありませんが、ご了承ください。

 

 

 

在日C鮮人は強制連行された人の子孫なのか

 

C鮮の真実というものは歴史的な物から現代まで様々あります。特に在日特権は無くさなければなりません。

 

そもそもC鮮人はなぜ日本にいるのでしょうか。それは「特別永住許可」というものを持っているからです。(K国と北C鮮人だけが持つ特別永住許可で他の外国人には無い)

 

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特別永住許可とは「入管特例法」という法律で規定されています。

 

では、入管特例法という法律はいつできたかというと、1991年(平成3年)です。平成以降に「日本に永住していいよ」ということになった。

 

では、平成より前はどうだったのでしょうか。

この時は「協定永住」というものがありました。

 

これは1965年(昭和40年)に日本とK国で結ばれた「日韓基本条約」に付帯して、「在日地位協定」というものを結んでいます。在日地位協定で結ばれた永住だから「協定永住」というわけです。

 

では、その前はどうだったのでしょうか?

協定永住が出来る前は「法126号」というものがありました。1952年サンフランシスコ平和条約で、日本はC鮮や台湾などの、いわゆる併合統治をしていた国を米軍によって切られ、C鮮はC鮮で、台湾は台湾で独立していきました。

 

その時に問題になったのが、当時、日本に大量に住み着いていたC鮮人です。C鮮が独立したことにより日本国籍を失い、「外国人」として扱われることになったのです。その数が210万人位。

 

「じゃあこの人たちをどうするんだ?」ってなった時に帰還船(帰国船)というものを出したんです。C鮮半島にどんどん無料で帰すということをやったわけです。

 

それでも帰国を拒否したC鮮人というのが60万人いるのです。その60万人は本来外国人扱いになるべきだったのですが、歴史的経緯を考慮して特別法「法126号」を持って無条件で日本に滞在することを認めました。

 

ですから「強制連行の被害者」だというのが真っ赤なウソだということがここで分かるわけです。

 

そもそも日本は、C鮮人に無料で朝鮮半島にどうぞということで帰還船を出している。それに150万人はこの船に乗って帰っている。

 

残ったこの60万人というのは自分の意志で残ったということです。これ、強制連行の被害者とは言えませんよね。

 

 

C鮮人が日本に来た経緯

 

C鮮人が日本に来た経緯は留学結婚などで来た自由渡航者というのが圧倒的多数を占めていました。

 

で、問題になっているのが、「民斡旋」「官斡旋」です。民斡旋・官斡旋とは何か。

 

日本は当時戦争をやっていたわけですが、シナ事変以降、日本の兵隊さんたちがシナ戦線に送り込まれました。そうすると日本国内の労働力が不足するわけです。

 

それでC鮮で「民斡旋」というものをやり始めたわけです。各工場とか、鉄鋼業の炭鉱とかが募集をかけて、そこにC鮮人たちが応募してきました。これを「自由渡航」と言います。

 

民間業者がバラバラに募集していたのですが、その後朝鮮総督府が窓口になって、一元化して募集することになりました。これが「官斡旋」だったわけです。

 

今でいうなら、民斡旋アルバイトニュース、官斡旋ハローワークのようなものです。

 

C鮮で言われているような、強制的にC鮮人を引っ張ってきて「お前ら日本に行けや~」なんてことはやっていません。そんなことは当然犯罪ですから、民斡旋・官斡旋で来たという人間は、全員自分の意志で来ています。

 

自分の意志で来ていない、自分の意志を阻害されて日本に来たというのは、その後1944年から行われた「徴用」というものです。徴用令が発令されて、日本に来た約22万人のC鮮人、これがいわゆる彼らの言うところの「強制連行」なんですね。

 

ただし、徴用令で日本に来たというC鮮人22万人の内、99%以上の人たちは、みんなC鮮半島に帰っています。それを昭和30年代に日本政府が確認しています。日本にいるC鮮人で徴用を理由として日本に来ているのは、245人しかいないということを外務省が発表しています。

 

この245人が自分の意志ではなく日本に連れてこられたと言えばその通りかもしれないけど、その当時はC鮮半島は日本だったわけです。そして帰還船で帰るチャンスがあったのに帰らなかっただけ、つまり自分の意志で日本に残ったということになります。

 

この22万人については、確かに国家の強制力の下で徴用されたC鮮人であることは間違いないのですが、国家が法によって自国民の徴用を定め、それに従って動員されたものを「強制連行」とは呼ばないのです。

 

現在K国で施行されている徴兵制度「強制徴兵」と呼ばないのと同じです。(K国では、18歳から徴兵検査を受けて19~30歳までの間に軍に所属しなければならない徴兵制度があります)

 

「国が国民に対して労働の義務を課すことは強制ではない」これが現在の法理論です。それに徴用されたのはC鮮人だけではないのです。日本人もみんな徴用の対象になっていました。

 

しかも先述した通り、C鮮半島で徴用が発令されたのは1944年9月。もう終戦ギリギリになるまで朝鮮半島では徴用令が発令されていないのです。

 

一方日本人の方は、1937年から、徴用令が発令されています。国民総動員法によって徴用令が発令されているのにも関わらず、C鮮半島の方は戦争末期になって初めて徴用令が発令されている。だからC鮮人の方が優遇されていたのです。日本人の方が差別されていたんです。

 

 

在日C鮮人の女性について

 

この徴用令で日本に来たC鮮人は全員男性です。女性は入っていないんです。

 

当時は、女性は徴用令の対象外だったんです。だから女性が行ったところといえば軍需工場などですけれど、強制ではないんですよ。自分から進んでみんな行っている。

 

もちろん「自分は行かない」ってことになると周りから白い目で見られるからってこともあったでしょう。でもこれは、別に日本だけではありません。アメリカでも、ソ連でも、或いはヨーロッパ諸国でも、女性は軍需工場に出向して、男は戦場に行く、これが当たり前だったんですよ。だから日本だけがおかしいなんて言われる筋合いはこれっぽっちも無いのです。

 

そして、軍需工場に勤めていた女工さんのことを「挺身隊」と呼んでいました。

 

で、この挺身隊が問題になりまして、今、K国で何と言われているかと言ったら「挺身隊=慰安婦」なんですよ。慰安婦のことをハングルでは「イアンプ」って言うんですけど、翻訳で「イアンプ」って打ち込むと「挺身隊」って出てくるんですよ。日本語に翻訳すると挺身隊になっちゃうんですよ。わざとなんですね、これ。

 

慰安婦問題を扱う機関で「挺身隊問題協議会(挺隊協)」というものがK国にあるんですけど、わざと挺身隊という言葉を使っているんですね。

 

 

当時、慰安婦のことを何と呼んでいたか

 

慰安婦っていうのが正式名称なんですけど、慰安婦を今の日本で言えば「性売買をする女性」これに近いんですね、意味的には。ただ「性売買をする女性」なんてふつう言わないから「売春婦」と簡単に言っているだけなんですよ。

 

当時は慰安婦のことを「チョンP」「チャンP」と言っていたんですね。「P」というのは英語で売春婦を表す「prostitute」Pです。ですからC鮮人のprostituteを「チョンP」、シナ人のprostituteを「チャンP」、日本人のprostituteは普通に「P」と言っていました。

 

性奴隷でもなんでもなく、普通に売春婦としての慰安婦というのがいて、それがただ単に営業活動をやっていたというだけです(当時売春は合法)。

 

で、その営業活動をやるのがそもそも軍の施設内なんですね。もし、慰安所が軍の基地の外にあったとしたらどうなるかといえば、当然敵に攻撃されるに決まっているわけです。そんな危ない所に女性が行くわけないでしょっていうことです。だから軍が関与していた。当たり前なんです。軍が関与していなければ撃たれるんですよ。殺されちゃうんですよ。

 

 

慰安所はいつ、何故始まったのか

 

シベリア出兵の時に日本兵が梅毒でバタバタと倒れてしまうということがありました(現地の売春婦からうつされた)。

 

そういうことが無いようにということで、軍で厳重に管理した上で慰安所を開設しようということになり、1939年、上海事変の時に日本が初めて慰安所を設けたわけです。

 

梅毒などの病気にならないようきちんと管理された上で、コン〇ームを支給されていた(それが入場切符代わりになっていた)。

 

 

K国の自称慰安婦の証言

 

次に自称慰安婦達の証言を見てみます。(カッコ内はツッコミ)

 

1944年から3年間にわたって台湾で無理矢理性奴隷にされた」

(1947年まで?戦争終わってますが…?)

 

「相手をさせられた日本兵の数は多い日で1日15人くらい、クリスマス休暇には20人近かった」

(えっ?日本軍にクリスマス休暇なんかありませんが…?)

 

「C鮮戦争で日本兵に踏みにじられた」

(C鮮戦争に日本は参加してませんが…?)

 

 

このように自称慰安婦の証言がいかにデタラメかということがお分かりいただけたと思います。また、この証言は二転三転しているそうです。こんなふざけた証言(ウソ)で、我々のお祖父ちゃんや曽祖父ちゃんを罵っていたのですムカムカ

 

また、慰安婦はかなりの高収入だったそうです。

日本兵の月給が15~20円だったのに対し、慰安婦は1,000円~2,000円だったそうです。3年間で26,145円(現在の価値で8千万円~1億円)稼いだ人もいたそうです!

 

これのどこが「性奴隷」なのでしょうか?

 

しかしながら、なぜこんなふざけた証言ばかり出てくるのでしょうか?それは、日本人が全く反論してこなかったからです。

 

 

慰安婦騒動がなぜ始まったかについては、次回に書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元にした動画↓

「きまぐれオレンジラジオ 2021年2月12日」

 

 

 

では、また真顔