前回は、アリストテレスが師匠プラトンのイデア論をどのように克服したか紹介しました。

その上で彼は、どう生きるべきと考えたのでしょうか?

今回はそんな彼の倫理学について見ていきましょう。


彼の代表作に《ニコマコス倫理学》という著作があります。

これはアリストテレスの死後に息子のニコマコスが編纂したものです。

そこで彼は、人間の幸福には3つの形があると論じています。

1)快楽と満足に生きること

2)自由で責任ある市民として生きること

3)科学者もしくは哲学者として生きること

アリストテレスは、この3つを兼ね備えた時に人は幸福に生きられると言っています。

どれか1つあるいは2つだけではダメで、3つがバランスよく組み合わされ時に初めて幸せだと。


そして、そのためには〈中庸〉がもっとも大切だと説きます。

多すぎず少なすぎず、バランスが大切だと。

例えば、臆病なのはダメ、かと言って無謀なのもダメ、真ん中の勇敢が求められると。

中庸を身につけることで、調和のとれた人間になれ、調和のとれた人生を送れるというわけです。

現実主義のアリストテレスらしい主張ですね。



これは、人生に限らず、社会や政治、国家にも必要だと説きます。

彼は3つの国家の形を上げています。

1)君主制:ひとりの独裁者がすべてを決める国家ですね。これは専制政治になる危険が大きい。

2)寡頭制:一部の少数者が集団統治する国家。これも専制に陥る危険がある。

3)民主制:3つの中ではもっとも好ましいが、衆愚政治になる危険もある。

理想的な国家は、寡頭制と民主制の中間だと述べています。


膨大な研究を残したアリストテレスですから、他にも色々と言及すべきテーマがありますが、最後に、神の存在について彼がどう考えたかを見ておきましょう。

彼は、プラトンのように「イデアをつくった偉大な神」をイメージしていません。

むしろ自然の頂上に君臨し、最初の〈要因〉をつくった存在…というようにイメージしています。

そして、そんな神様を〈第一起動者〉と名付けました。

第一起動者は自らは動かないけれども、宇宙の大元であり、すべての事物の大元の原因になった存在だと考えました。

現実主義者らしい考え方ですね。


3回にわたりアリストテレスを紹介しましたが、彼の業績は後世の科学者や哲学者に、良い意味でも悪い意味でも多大な影響を与えました。

例えば女性観。

彼は、女性を〈不完全な男性〉として見下していましたが、この考え方がのちのキリスト教神学に受け継がれてしまいます。

そんなマイナス面もありますが、偉大な思想家であったことには間違いありません。


さて、これでギリシャ哲学のお話は終わりです。