先日、用事で実家に行きまして


実家は、いわゆる古民家の部類になりますか

おそらく建ってから百数十年は経過しているだろうといわれております


といっても、これまで何度か改築やら補強やらしておりますから、それなりに現代で居住できる建築となっております


それでも、梁や間取りは古き農家の家屋の風情を残しているのです


さて、そこでなんのきっかけだか忘れてしまいましたが家系の話になりまして


ちょっと確かめてみようと仏壇を調べましたところ、ぼくから六代前までの名前が分かったのです


いまや、位牌の中で板に名前が記されているだけなのですが

この六代それぞれに、生まれてから亡くなるまでの生きた物語があったのだと想像しますと


自分もまた歴史の一部分であることを、ふと実感したのでした


歴史とは、さまざまなたくさんの人が懸命に生きた物語が織られた曼荼羅のようなもの

最近はそう思うようになりました


さて仏壇のほかにも古い神棚を調べてみますと、家系に関わるものはありませんでしたが興味深いものが出てきました


とても古い巻物で全部で四巻あり、どうやら密教に関係するもののようです

最近は仏教とくに密教に興味がありますので、これを見てひとり興奮してしまいましたが

ゆっくり見て調べる時間もなく、また後日の楽しみとなりました

浄土宗のこの家に、なぜ密教の巻物があるのか
仏壇の裏から出てきた、この屋敷主の位牌がなぜ尼僧なのか

いろんな疑問と謎が生まれましたが、今は無き古い記録に触れることで
不思議と現代を生きる自分も、歴史の織りなす糸のひとつであり、どんな彩りとなっていくのか

日々を重ねて、もがきながらも生きていくことの素晴らしさというのを実感したのでした

古きに触れて、生きる歴史を識る
そんな、おもしろい休日となりましたよ

さて、帰りの車の中
ぼくから六代前、ペリー来航の翌年に亡くなった吉右衛門という人はどんな顔をしているのだろう
そんなことをぼんやり考えたのでした