無学な僕は、少し前にリバタリアン(リバタリアニズム)という思想を知った。
その考えを調べてみると、かなり自分の思考と似ていることが分かり、
僕はリバタリアンなのだと考えるようになっていた。
さて、リバタリズムとは何ぞやという話だが、自分自身のためにもちょっと覚書を書いておきたいと思う。
◆Wiki
リバタリアニズム(英: libertarianism)は、自由主義思想の中でも個人的な自由、経済的な自由の双方を重視する政治的イデオロギーである。リバタリアニズムは他者の権利を侵害しない限り、各個人の自由を最大限尊重すべきだと考える。
ミルトン・フリードマン 『資本主義と自由』(1962)
広く受け入れられている国家活動は個人の自由を不当に侵害するものだと論じた。社会保障や政府によるあらゆる強制的な年金プログラムはその典型例の1つだと、フリードマンは言う。
ある人がみずからの意思でその日暮らし好み、自分の持つ資源を目先の楽しみに費やし、わかっていて不毛の老年期を選ぶのだとすれば、我々はいかなる権利で、その人の行為を阻止できるだろうか。そうした人は退職後に備えて貯金すべきだと言えるかもしれないが、その人の選んだ行為を強制的に阻止する権利を我々は与えられているだろうか
ロバート・ノージック 『アナーキー・国家・ユートピア』(1974)
ノージックは、リバタリアンの原理を哲学面から擁護し、分配の正義というよく知られた理念への疑問を提起した。個人は非常に強力で広範囲におよぶ権利を持つから、国家に仮にあるとしても、何をすることが許されるのかという疑問が生じると言う。ノージックの結論は「契約を履行させることおよび、暴力、盗み、詐欺から国民を守ることに権限を限定させた最少国家だけが、正当な存在である。それ以上の権限を持つ国家は、何かをするように強制されないという個人の権利を侵害するため、正当な存在とは言えない」というものだった。
政治的な位置づけ
リバタリアンの哲学は政治勢力図の上にきちんとした位置づけを持っていない。経済政策については自由放任主義(レッセフエール)を好む保守主義者も、文化的問題についてはリバタリアンと意見を異にすることが多い。一方で、福祉国家主義者の多くは、言論の自由、政教分離といった問題についてはリバタリアン的な見解をもっていたりする。
続く
その考えを調べてみると、かなり自分の思考と似ていることが分かり、
僕はリバタリアンなのだと考えるようになっていた。
さて、リバタリズムとは何ぞやという話だが、自分自身のためにもちょっと覚書を書いておきたいと思う。
◆Wiki
リバタリアニズム(英: libertarianism)は、自由主義思想の中でも個人的な自由、経済的な自由の双方を重視する政治的イデオロギーである。リバタリアニズムは他者の権利を侵害しない限り、各個人の自由を最大限尊重すべきだと考える。
ミルトン・フリードマン 『資本主義と自由』(1962)
広く受け入れられている国家活動は個人の自由を不当に侵害するものだと論じた。社会保障や政府によるあらゆる強制的な年金プログラムはその典型例の1つだと、フリードマンは言う。
ある人がみずからの意思でその日暮らし好み、自分の持つ資源を目先の楽しみに費やし、わかっていて不毛の老年期を選ぶのだとすれば、我々はいかなる権利で、その人の行為を阻止できるだろうか。そうした人は退職後に備えて貯金すべきだと言えるかもしれないが、その人の選んだ行為を強制的に阻止する権利を我々は与えられているだろうか
ロバート・ノージック 『アナーキー・国家・ユートピア』(1974)
ノージックは、リバタリアンの原理を哲学面から擁護し、分配の正義というよく知られた理念への疑問を提起した。個人は非常に強力で広範囲におよぶ権利を持つから、国家に仮にあるとしても、何をすることが許されるのかという疑問が生じると言う。ノージックの結論は「契約を履行させることおよび、暴力、盗み、詐欺から国民を守ることに権限を限定させた最少国家だけが、正当な存在である。それ以上の権限を持つ国家は、何かをするように強制されないという個人の権利を侵害するため、正当な存在とは言えない」というものだった。
政治的な位置づけ
リバタリアンの哲学は政治勢力図の上にきちんとした位置づけを持っていない。経済政策については自由放任主義(レッセフエール)を好む保守主義者も、文化的問題についてはリバタリアンと意見を異にすることが多い。一方で、福祉国家主義者の多くは、言論の自由、政教分離といった問題についてはリバタリアン的な見解をもっていたりする。
続く