心に性別はない
鏡の前に立つ。
いつもの自分のはずなのに、今日の瞳はどこか違う。 少し尖った顎のラインを指でなぞりながら、私は思う。
――これ、本当に「私」なのかな。部屋の隅に置かれた古い衣装ケースを開ける。
中には、男物の革ジャン、フリルのついたブラウス、シルクのスカーフ、太いベルト、細いネクタイ
……まるで誰かの人生の断片を寄せ集めたような寄せ集めの宝箱だ。
今日の気分は、ちょっとだけ荒々しい。
革ジャンを羽織って、髪を無造作にかき上げ、鏡に向かって低い声で呟いてみる。
「俺は俺だ」声に出した瞬間、胸の奥がくすぐったくなる。演じてる。完全に演じてる。
でもその演技が、妙に心地いい。別の日には、
レースのついた白いシャツを着て、長いスカートをゆっくり揺らしながら歩いてみる。
鏡の中の自分が、まるで別人のように優雅で、どこか儚げだ。
「私は私よ……」今度は声が高く、柔らかくなる。
自分でも驚くほど自然に、指先まで女性的な仕草が出てくる。
でも、これもまた「演技」だ。
ただ、今日はこの役がしっくりくるだけ。人は皆、毎日何役も演じている。
会社では真面目な社員、友人には気さくな相棒、恋人の前では甘え上手、ひとりになると途端に無口な影。
シチュエーションが変われば、仮面も変わる。
無意識に、無駄なく、エネルギーを消費しながら。ある人は言う。
「私は心が男なんだ」
またある人は叫ぶ。
「私の心は女そのものよ!」私はそれを聞いて、静かに首を振る。
心に性別なんて、最初からない。 あるのは、ただのイメージだけだ。
自分が心地よいと感じるイメージ。今この瞬間、表現したいイメージ。
それに一番近い形を、必死に体に纏い付けて、演じているだけ。
鏡に映るのは、決して「本当の自分」なんかじゃない。
ただ、今一番着てみたい衣装を着た、今日の役者だ。
だから時々、疲れる。衣装を脱ぎ捨てて、素のままになりたくなる。
でも素のままの自分って、一体何なんだろう?
結局それすら、長い間着続けた「無難な役」の衣装なんじゃないかと、疑ってしまう。
私は思う。心とは、性別を持つものではなくて、無限の可能性を秘めた、宇宙みたいに広がるキャンバスなんだと。
そこには男も女も、どっちでもないものも、全部混ざり合って漂っている。
神様がくれた、一番贅沢な贈り物。だから私は今日も、ケースを開ける。
今日はどんな役を演じようか。
どんな仮面を、どんな衣装を、身に纏おうか。心は男? 女?
――そんな問い自体が、もう古いのかもしれない。ここにあるのは、ただ、
果てしなく自由で、果てしなく美しい、イメージの海だけだ。
以下はその海を覗き込んだような、いくつかの断片。
鏡の中の自分が、いつもと違う顔で微笑んでいる瞬間。
舞台の上で、次々と衣装を替えながら輝く役者たちのように。
そして、心の奥底にあるのは、性別を超えた、ただただ広大で美しい宇宙のようなもの。
心に性別はない。
あるのは、無限のイメージと、それを演じきるための、たった一つの命だけだ。
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