10年前の夏、私は一冊の本(アドラー心理学)と出会った。
古びたページから、静かに、しかし確実に、心に響く言葉が降り注いだ。「課題の分離」その瞬間だった。
胸の奥で、何かが音を立てて外れた。
今までずっと、重くのしかかっていた鎖が、カチャリと外れるような、そんな小さな音がした。
私は、誰かを「救わなければ」と思い込んでいた。
親友の自暴自棄な選択を、部下の繰り返す失敗を、家族の重い過去を。
「私がなんとかしなければ」と、
必死で手を伸ばし続けていた。でも本は教えてくれた。
それは、私の課題ではなかった。
どんなに愛していても、どんなに心配でも、その人の人生は、その人だけのもの。
私が背負うべき荷物ではなかった。涙がこぼれた。
それは悲しみの涙ではなく、ようやく許されたような、解放の涙だった。
次の日、私は親友に電話をかけた。声が震えながらも、はっきりと伝えた。
「ごめん。もう、君を助けようとはしない。君が自分で立ち上がるのを、遠くから見守らせてほしい」
沈黙の後、彼女は小さく泣きながら言った。
「……ありがとう。初めて、誰かに本当に愛されてる気がした」
会社でも、同じ決意をした。部下に、こう告げた。
「もう俺は、何も言わない。君が自分で答えを見つけるまで、待つよ。でも、その答えは君が出すんだ」
彼は最初、目を逸らした。裏切られたと思ったのだろう。
でも数ヶ月後、彼は自分の力で大きなプロジェクトを成功させた。
そして、照れくさそうに一言。「…あのとき、見捨てられなくてよかった」
社会は変わらない。真面目な人が疲れ果て、無責任な人が笑いながら逃げていく。
それでも私は、もう背負わないことにした。自分の課題に、ただ誠実に。
誰かの課題には、そっと手を差し伸べるのをやめて、
代わりに、心からの「信じてるよ」という言葉を贈ることにした。
ある冬の夕暮れ。私はいつもの川沿いを歩いていた。
空は茜色に染まり、冷たい風が頰を撫でる。遠くで、誰かが誰かに手を差し伸べようとして、
そして――静かに、その手を下ろした。
その瞬間、私は確信した。誰も傷つけず、誰も傷つかず。ただ、それぞれが自分の足で立ち、
自分の道を歩いていく。それが、究極の優しさだ。
私は立ち止まり、深く息を吸った。胸の奥に、温かいものが広がっていくのを感じた。
涙が、また一粒、こぼれた。今度は、静かに、嬉し涙だった。これでいい。
これで、ようやく――
私たちは、本当に自由になれる。
(終)
(そして、川の向こうで、夕陽がゆっくりと沈んでいった。
その光は、まるで、私たちのこれからの道を、
優しく照らすように。)
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アドラー心理学には、「課題の分離」以外にも、心を軽くし、人間関係を豊かにし、自分らしく生きるための強力な概念がたくさんあります。
ここでは、特に日常生活や仕事で実感しやすい、代表的なものをいくつか紹介します。
1. 目的論(すべての行動には「目的」がある)フロイトの「原因論」(過去のトラウマが今の苦しみの原因)と対照的な考え方です。
アドラーは「人は過去に原因があるからではなく、未来に何かを達成したいという目的のために、今の行動を選んでいる」と説きます。例:「怒ってしまう」のは、過去の傷のせいではなく、「相手をコントロールしたい」「注目されたい」「変わりたくない自分を守りたい」などの今の目的があるから。
→ 目的に気づけば、「じゃあ別の目的を選ぼう」と行動を変えやすくなる。とても未来志向で希望が持てる考え方です。
2. 共同体感覚(Gemeinschaftsgefühl)← これがアドラー心理学の究極のゴール「自分は社会の一員であり、他者とつながっている」と感じ、他者に貢献したいと思う感覚。
アドラーは「人間の幸せの本質は共同体感覚」だと断言しています。
- 他者への関心
- 他者への信頼
- 他者への貢献
この3つが揃うと、自然と「自分には価値がある」と感じられるようになります。
「嫌われる勇気」の有名な言葉「他者貢献こそが幸せの唯一の道」も、ここから来ています。
3. 勇気づけ(Encouragement)アドラー心理学で最も大切な実践技法。
「あなたはできる」「あなたは価値がある」と信じ、相手の可能性を信じて伝えること。
褒める(評価)とは違い、存在そのものを肯定するので、相手の「勇気」を引き出します。例:失敗した部下に
×「もっと頑張れよ」(プレッシャー)
○「君ならきっと次はうまくいくよ。僕にはそう見える」(信じる・勇気づけ)これが積み重なると、自分も他人も変わっていくのです。
4. 劣等感と優越への стремление(努力)誰もが持つ「劣等感」を否定せず、それをバネに「より良くありたい」という優越への努力に変える。
アドラー自身、幼少期の病弱さや身体的劣等感を原動力に医師になった経験から、この考えが生まれました。ポイントは「完全になる必要はない」。
「より良く」に向かう過程そのものが価値ある生き方だということです。
5. 自己決定性/主体性「自分の行動は自分で決められる」
どんな環境・過去があっても、最終的に「どう解釈するか」「どう行動するか」は自分次第。
これがわかると、「あのせいで…」という他責思考から解放され、自由を感じられます。
6. 人生の課題(ライフタスク)3つアドラーは人生のすべての悩みを、以下の3つに集約できると言いました。
- 仕事の課題(社会に貢献する)
- 交友の課題(友人関係・社会とのつながり)
- 愛の課題(恋愛・パートナーシップ・家族)
この3つに真摯に向き合うことで、共同体感覚が育つとされています。最後に「課題の分離」は確かに強烈で実践的ですが、アドラー心理学の本質は
「共同体感覚を育み、他者に貢献しながら、自分も幸せになる」こと。
課題の分離は「縦の関係(支配・被支配)」を断ち切り、勇気づけと共同体感覚で「横の関係(対等な信頼)」を築くための、とても重要な「第一歩」に過ぎないのです。
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