別の事が書きたいのだが、この前から書き始めたテーマに

結末を着けたいので、おじゃま虫にもう少しお付き合い下さい。

 

短大中退前の春休み、何かはせんとアカンと思って、

英語のブリタニカ辞典を売るアルバイト。

お次は20歳の誕生日を機会に、青年会議所の個人版みたいな会社

(若手の企業家や、弁護士を会員制で集めたクラブ)の社長秘書。

過労でもないが、倒れて1ヶ月入院。

退院後、着物の着方を、学校へ行かず覚えようと、

神戸の老舗が出している和食料理屋、東京の支店へアルバイト。

着け帯などでない、一本帯の本格的着方を、(2、3日先輩が手伝ってくれるが)

ひとりで、ロッカーの並ぶ狭い廊下で覚えた。

即昇格して、昼のサービス主任に任命される。

辞めるに辞められず、3カ月位我慢していたか?

客の呼び寄せが上手いらしく、、

アンタ、サービスせんで良いから店の外に立つてろと言われた。

その内、新橋の小料理屋さんが、私に店を譲りたいと。

私は、水商売の世界に生きるつもりはなかつたので、お断りし

小さな新聞社の編集長秘書に。

この間、友人が、日曜日にスーパーで新製品の試食販売をするから

手伝ってくれと。スパゲティのソースを売つた。

ビツクリする程売れて、業界で噂になり、

広告代理店の部長が、私をスカウトに来た。

新しく事業部を創るから、色々な仕事を自分で企画して良い。

余り熱心に乞われるので、興味も半分手伝って、入社してしまつたら!

年功序列制が未だしつかり残っている会社で、

給料もほぼ半分近くに減つた(給料額、尋ねるの忘れてた)

仕事だけは直ぐ大忙しになり、私ひとりで初まつた事業部は

社員、外部団体で50人を越し、他所から部長を引つ張つて来ると。

(若い24歳位の女性には、部長になる資格は無いそうで)

此れを機会に、自分で会社を設立し独立。

ついでに小さなレストランも運営。

眠る暇無し。

25歳は遊びたい氣もあり、明け方迄ゴーゴー踊つてそのまま出張したことも

当然、身体は持ちこ堪えない。

全てのエネルギーは使い果たし、身も心も空洞。

自分でやりたいことは、全部やつたし

当時は、宇宙の真理も法則も全く知らない。

只「私の哲学」が有るのみ

本気で私の人生、此れで終わったと、心定まつていた。

この時期、覚醒した侭、意識だけが肉体から隔離して行く状態を

幾度も体験している。

アー、世界は遠くなる、遠くなる!

すると父親は医者だつたから、

「死にたく無きゃ、給料はオレが払うから、もう何もせんでくれ」と。

 

又次回、続きです。お元気で!