そうだね。
君達は 選びもしないのに選んだかのように
理由付けをしては 本当の自分を選ばない様にする。
現実と理想は違うなんて言うだろう。
本当の安心を選んだ者が本当にいるのだろうか?
本当の安心を選んで 話が違うって
言われたことは無いんだがね。


ごもっともです。
本当を選ばない人ほど 知ったところに立って
批判 否定します。私もそうでしたから。
自分が理解i出来ない事を間違っている!と言うのです。
味見もしないで 噂や世間の評価に振り回される。

 何か 怒っているのかい?

・・・ある人を思い出して。
そして 昔の自分を見ているようで。
まぁ 今の自分にも重なるのですが。
こういうのって イライラしてしまうんです。

 ははっ 確かに。
自分は 自分の思い通りに出来ても
人は自分の思い通りにはならないからね。

ええ・・・特に自分を理解して欲しいなんて
思うと どうしようもない。
相手も自分を理解して欲しい人なら平行線。
そこでは どんな真実も互いに通じない。
理解される事が心地いいって思うのと同時に
理解されない事を心地悪いって感じてしまう。
理解が愛と言うなら 誰かが私を理解してくれなければ
私は愛されていないってことになるでしょ?

 なるほどね。
君が最近気になっていたことだね。
存在の本質を理解しているなら
どちらが理解を要するなんて関係ないんだよ。
どっちもこっちも無いからね。
右か左 どちらを選ぶなんて言う話じゃない。
理解への理解が誤解を生んでいないかい?


・・・私の理解が間違っている?誤解ですか?

 そうだね。
宇宙の法則は 頭で理解出来やしない。
知識として知ることは出来ても
自分で体験するものだし 誰かに
与えられるものでもない。

何かを悟ったという者の話を聴いても
聞いただけで自分がそう在れるかどうかは別さ。
君達は 聞いただけでさも 自分が出来ているように
勘違いするからね。
まぁ 妄想話を楽しんで それこそ
現実になったかのように気分を良くしたり
悪くしたりって具合。
それが考えというもの。


ええ。手に入ってもいないのに入った気分。
食べていないのに食べた気分。
知らないのに知った気分。

 なら 解るだろう?
安心した気分でいるだけだと。
君達が現実問題と言っている現実は 
自分の真実とは違う。
「在ると思っているものが無く
無いと思っているものが在る。」という事。
初めから愛されていれば つまり 本当の自分
決して無くなることない理解出来る自分がいるわけだから
自分が自分という存在を受け入れるだけさ。
自分や相手を理解することは 「愛で在る私」
だから するされるも無いんだよ。
自分がどう在るのか それだけだ。
そうすれば 誰かせいや御かげも無く
自分の人生 選択を自分のものに出来る。
そして 私と共に歩もうではないか?
私じゃ 不満かい?