その通り。
君達からすれば その手綱が互いを
繋ぐものだとしているが 本当の繋がりとは
そんなものではないよ。
手綱もまた 本当を見極める為に
この世界(君達)が用意した幻。
さも 在るかのように見せてくれるものだから。


でも おかしな話ですよね。
「好きにすればいい」と自由を
促されると何だか「好きにしてはいけない」
と思ってしまいます。
元から好きにしているはずなのに
改めて言われると 寂しい気持ちになる。

 そうだろうね。
手綱を在るとして手放してあげるよ と
いうなら 君達の解放は 誰かの許しがいる事になる。
それに手綱が在るとして安心している者にとっても
好きにすればいい は見捨てられた感が在るだろう。
自由を一種の別れととるからね。
しかし 初めから自由でしかなかったのなら
そんな不自由な考えを巡らし不安になるのも
君達の自由な選択の結果。
ただ 宇宙の法則を知らなかっただけの事。
知ったからと言って 受け入れられるか
「そうなんだ」と思えるかも君達しだい。
だから 君達は初めから自由なんだよ。 


ですよね。
ずっと 自分で思いたいように思ってきました。
それが真実かどうかなんて どうでも良いくらい。
誰かの自由を奪っているというのも
本当は 在り得ない話ですよね。
自分の選択があるように相手の選択もある。
いつだって一人相撲だったような気がします。

 そうだね。相手がいるようでいない。
君が初めに言った「誰かの自由を認める」
その言葉も君の許しがいるみたいになるだろう?
君自身も誰かの許しが必要になってしまうよ。
だが そこから解放されるには
自分を解放する事。いたってシンプルだ。
解放とは 真実を受け入れる事。
夢から目覚める事。本当の自分に戻る事。
どんな問題定義される不安も恐れも
この答えに辿り着く。
これ以上の答えを求める時こそ
ここへ帰っておいで。
私は ずっとここにいるから。